≪峠旅 佐久から上州への峠群をゆく! その1≫
信州佐久と西上州を分ける峠は数々ある。今回は内山峠、大上峠、十石峠、ぶどう峠を越えて来た。それは、今から35年前、サイクリング雑誌のツーリング記録で知った峠群でもある。
長野新幹線佐久平駅に4名のメンバーが集まり、そこより二泊三日の峠旅が始まった。中山道岩村田宿を抜け、県道44号下仁田浅科線を東進する。前方には上州との県境となる稜線が立ちはだかっているが、それほどの険しさは感じなかった。
親小田、志賀と佐久地方そのものの家々が立ち並ぶ集落を通り抜ける。駒込よりは人家も無くなり、いよいよ峠への上りに入る。更に未舗装の九竜平林道に入り、大きな砂利がゴロゴロした地道をノンビリと、かつ確実にペダルを漕いで上がって行く。
新緑にはまだ早く、山桜の咲く下を落ち葉を踏み締めながら走るのも心地よい。幾つものつづら折れをやり過ごして妙義荒船林道へ辿り着く。
そこよりは内山牧場の横をかすめ、荒船山を正面に眺めながら内山峠を目指す。左手下方には上州の山間の村村がはるか下に眺められる。かなりの高度差で、上州からの上りは大変そうだ。
荒船山が目前に迫ったところが内山峠であった。稜線上のちょっとした切通しで、ハイカーの車が多く停まっていた。昔の峠の風情はあるものの、静かさには欠けるようだ。
次ぎの訪問地は神津牧場。明治時代に作られた日本で最初の西洋式牧場とのことで、その背後には浅間山が遠望でき、別天地的な素適な場所であった。いい齢をしたオッサンが3人、名物のソフトクリームをほお張る姿は絵にならないであろう。
下仁田へ一気に下る。国道254号沿いに残る旧道を上手く拾って快適なダウンヒルを楽しむが、あまりの激坂にブレーキを握る手がしびれてくる。道の両側は新緑で彩られ、萌黄色が目にやさしい。山菜に興味津津のK瀬さんが目ざとくコゴミを見付けて止まる。
下仁田の町はネギとコンニャクが有名。昭和初期にはコンニャク相場の高騰で大儲けをしたとかで、今日の宿となる「下仁田館」には、往時は30名の芸者が居たという。なかなか風情のある宿であった。ここは上信電鉄(高崎~下仁田間)の終点でもある。
一日のツーリングの後の楽しみはお風呂とご馳走。テーブルを覆い尽くすコンニャクと山菜の料理は十分に満足のゆくものであった。女将から聴く下仁田の歴史の話で盛り上がり、ビールの本数が増えたことは言うまでもない。
信州佐久と西上州を分ける峠は数々ある。今回は内山峠、大上峠、十石峠、ぶどう峠を越えて来た。それは、今から35年前、サイクリング雑誌のツーリング記録で知った峠群でもある。
長野新幹線佐久平駅に4名のメンバーが集まり、そこより二泊三日の峠旅が始まった。中山道岩村田宿を抜け、県道44号下仁田浅科線を東進する。前方には上州との県境となる稜線が立ちはだかっているが、それほどの険しさは感じなかった。
親小田、志賀と佐久地方そのものの家々が立ち並ぶ集落を通り抜ける。駒込よりは人家も無くなり、いよいよ峠への上りに入る。更に未舗装の九竜平林道に入り、大きな砂利がゴロゴロした地道をノンビリと、かつ確実にペダルを漕いで上がって行く。
新緑にはまだ早く、山桜の咲く下を落ち葉を踏み締めながら走るのも心地よい。幾つものつづら折れをやり過ごして妙義荒船林道へ辿り着く。
そこよりは内山牧場の横をかすめ、荒船山を正面に眺めながら内山峠を目指す。左手下方には上州の山間の村村がはるか下に眺められる。かなりの高度差で、上州からの上りは大変そうだ。
荒船山が目前に迫ったところが内山峠であった。稜線上のちょっとした切通しで、ハイカーの車が多く停まっていた。昔の峠の風情はあるものの、静かさには欠けるようだ。
次ぎの訪問地は神津牧場。明治時代に作られた日本で最初の西洋式牧場とのことで、その背後には浅間山が遠望でき、別天地的な素適な場所であった。いい齢をしたオッサンが3人、名物のソフトクリームをほお張る姿は絵にならないであろう。
下仁田へ一気に下る。国道254号沿いに残る旧道を上手く拾って快適なダウンヒルを楽しむが、あまりの激坂にブレーキを握る手がしびれてくる。道の両側は新緑で彩られ、萌黄色が目にやさしい。山菜に興味津津のK瀬さんが目ざとくコゴミを見付けて止まる。
下仁田の町はネギとコンニャクが有名。昭和初期にはコンニャク相場の高騰で大儲けをしたとかで、今日の宿となる「下仁田館」には、往時は30名の芸者が居たという。なかなか風情のある宿であった。ここは上信電鉄(高崎~下仁田間)の終点でもある。
一日のツーリングの後の楽しみはお風呂とご馳走。テーブルを覆い尽くすコンニャクと山菜の料理は十分に満足のゆくものであった。女将から聴く下仁田の歴史の話で盛り上がり、ビールの本数が増えたことは言うまでもない。
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