≪東海道・見付宿から由比宿を走る!その3≫
府中宿の名の通り、かつてはここに駿河国の国府があったために付いた地名である。かの大御所、家康公が隠居所とした駿府城はここから来ている。町外れに出ると久能街道への碑跡があった。参勤交代で府中宿を通った大名が徳川家への忠義のために久能山東照宮へ参拝したであろうことは間違いがない。
JR東海道線が東海道を分断していた。現代の大動脈が旧道をズタズタにしているのは仕方ないことか。申し訳に東海道記念碑というのが建っていた。
更に裏道となって静かな東海道を進む。江尻宿(現清水市)に入る手前で清水追分と言う地名があった。ここより右折して清水湊へ至る分岐点であるという。角には今も追分羊羹の老舗が盛業していて、土産に一つ買ってみた。サービスに一口羊羹とお茶が出てきたのが嬉しかった。
何度か道を折れて江尻宿の中心地を抜ける。角の小間物屋のお姉さんに道を尋ねると親切に方角を教えてくれた。松並木跡の碑を見ながら興津宿へと向かう。この辺りは国道1号線を行くため、快適さはない。右手には駿河湾が逆光を反射して眩しい。天気が良ければ正面に富士山が望めるはずであるが、今日は生憎の曇り模様で見えなかった。
興津川を渡って左折し、少し上流より薩捶峠への道に入る。小さな集落を抜け、坂をうねうねと上って行くとお墓に出た。そこより階段状の遊歩道を担ぎで上がり、海が間下に見えるところより少し上で峠に辿り着いた。今ではミカン畑になっている斜面はかなり急峻で、そこに付けられた東海道はかなりの難所と思われた。
昼食代わりのアンパンをかじりながら駿河湾の絶景に見とれる。眼下にはJR東海道線、新幹線、東名高速、国道1号線と現代の大動脈が山際と海岸の間に集中しているのが興味深い。
山の斜面へ水平に付けられた細い道を自転車で走る。ミカンの他にもビワの木も見られた。やがて一気に下りに入り、由比宿へと入っていった。山と海岸に挟まれた狭い街道沿いに建てられた家々には、今も懐かしい感じの風情が残っていた。今はサクラエビのシーズンらしく、お祭りをやっているようであった。
自転車で旧街道を走るのは面白い。微妙な道路の起伏や曲り具合(視覚)手や足に感じる石畳や地道の感触(触覚)木や花の臭い(嗅覚)鳥の鳴き声(聴覚)今も盛業している美味し処(味覚)など五感で体感できる楽しみはクルマやバイクで走っても味わえないであろう。本陣、旅籠、高札場、一里塚・・・それが当時の物でなくても、その雰囲気に出会えるだけで値打ちがある。江戸時代の旅人の気分が味わえる自転車旅には当分はまりそうである。
府中宿の名の通り、かつてはここに駿河国の国府があったために付いた地名である。かの大御所、家康公が隠居所とした駿府城はここから来ている。町外れに出ると久能街道への碑跡があった。参勤交代で府中宿を通った大名が徳川家への忠義のために久能山東照宮へ参拝したであろうことは間違いがない。
JR東海道線が東海道を分断していた。現代の大動脈が旧道をズタズタにしているのは仕方ないことか。申し訳に東海道記念碑というのが建っていた。
更に裏道となって静かな東海道を進む。江尻宿(現清水市)に入る手前で清水追分と言う地名があった。ここより右折して清水湊へ至る分岐点であるという。角には今も追分羊羹の老舗が盛業していて、土産に一つ買ってみた。サービスに一口羊羹とお茶が出てきたのが嬉しかった。
何度か道を折れて江尻宿の中心地を抜ける。角の小間物屋のお姉さんに道を尋ねると親切に方角を教えてくれた。松並木跡の碑を見ながら興津宿へと向かう。この辺りは国道1号線を行くため、快適さはない。右手には駿河湾が逆光を反射して眩しい。天気が良ければ正面に富士山が望めるはずであるが、今日は生憎の曇り模様で見えなかった。
興津川を渡って左折し、少し上流より薩捶峠への道に入る。小さな集落を抜け、坂をうねうねと上って行くとお墓に出た。そこより階段状の遊歩道を担ぎで上がり、海が間下に見えるところより少し上で峠に辿り着いた。今ではミカン畑になっている斜面はかなり急峻で、そこに付けられた東海道はかなりの難所と思われた。
昼食代わりのアンパンをかじりながら駿河湾の絶景に見とれる。眼下にはJR東海道線、新幹線、東名高速、国道1号線と現代の大動脈が山際と海岸の間に集中しているのが興味深い。
山の斜面へ水平に付けられた細い道を自転車で走る。ミカンの他にもビワの木も見られた。やがて一気に下りに入り、由比宿へと入っていった。山と海岸に挟まれた狭い街道沿いに建てられた家々には、今も懐かしい感じの風情が残っていた。今はサクラエビのシーズンらしく、お祭りをやっているようであった。
自転車で旧街道を走るのは面白い。微妙な道路の起伏や曲り具合(視覚)手や足に感じる石畳や地道の感触(触覚)木や花の臭い(嗅覚)鳥の鳴き声(聴覚)今も盛業している美味し処(味覚)など五感で体感できる楽しみはクルマやバイクで走っても味わえないであろう。本陣、旅籠、高札場、一里塚・・・それが当時の物でなくても、その雰囲気に出会えるだけで値打ちがある。江戸時代の旅人の気分が味わえる自転車旅には当分はまりそうである。
先日はお疲れさまでした。様々な掲示板でみなさん仰られていますが、今回ほど担当のカラーを見事に覆したランもなかったでしょう。私たちは十分過ぎるくらい楽しめました。はづきのsuzukiさんも走りながら、「一人じゃ絶対に行けない。皆さんが居るから走ることができる・・・」というのが印象的でした。レポートにある由比の薩垂峠、私たちは旧道を行き損ねてしまいました。写真でも素晴らしい景観を醸し出していますね。
またご一緒しましょう!!
“ランドナーのつどい”ではお世話になりました。予想を覆すコースプラン・・・私には厳しすぎました(笑)
私は皆さんとお会いする前に旧道ランを楽しんで来ました。鈴鹿のAさんの影響を受け、東海道の全線をつないでみたいと思っています。いずれは五街道全部をとも・・・薩捶峠(漢字が違いますが)は残念でしたね。とても雰囲気のよい素適な峠でした。次回は担ぎで訪れてみてください。400年前の旅人の気分が味わえますよ!
峠の写真、クラブモデルもなかなかの雰囲気がありますよ。私はパターソンのペン画の風景に憧れています。
また素適なサイクルツーリングの世界へお誘い下さい。
明日は会のYさんとこで田植です。なんでかなぁと思うでしょ!我々もなんでかなぁと思いながら行ってきます。
今日は田植え日和で何よりです・・・!
日本の農業の発展のためにも貢献してください。
さった峠のたですが、本来は土偏ですね。手偏も間違いです。かの皇女和宮は徳川家へ嫁ぐ際、浜名湖の今切の渡し(切れる)さった峠(去った)を嫌って中山道を通ったとか・・・
いよいよ梅雨に入ってしまいましたが、17日は段戸山、伊勢神峠、大多賀峠辺りへ行きます。7月は月夜沢峠、真弓峠を考えています。どなたか興味のある方がお見えでしたらお出で下さい。