《輪旅 京丹波・向日町から篠山へ!》
以前より気になっていたエリア・・・大阪府の北端に位置する能勢町を訪れてきました。スタートは京都の向日町・・・駅前より西方向に進み、大原野、金蔵寺、逢坂峠を越えて二科へ。峠は激坂、その向こうにはのどかな京丹波の田舎風景が広がっていました。
今回のコースは・・・
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=51a2dca8074bb08c5b10ada78bea6b59
県道733、732と走って能勢町へ。ここは豊能郡というのでしょうか、大阪府ではありますが、結構な田舎町でした。浄瑠璃でも有名なようです。更に県道602を西進して兵庫県猪名川町、杉生より北進して篠山市へ。
丹波篠山・・・青山藩の城下町、なんとも素敵過ぎる町でした。黒豆も有名ですが、この時期は猪鍋が人気のようで、繁華街の料理屋はぼたん鍋で一色でした。河原町の妻入商家群は伝統的建造物保存地区、古いグロリアがとてもお似合い。今日の宿は「新たんば荘」公共の宿で、平日は7500円とリーズナブルに泊まれました。
(金蔵寺から逢坂峠へ)
机上ツーリング・・・地図を眺めながら道のエリアを走ることを想像するは楽しいことです。名神高速に沿った道ではうるさそう・・・亀岡市経由、国道372で篠山へ向かうのも味気ない。結果、そのど真ん中を通る県道733、732に目が行きました。
スタートは京都府の向日町駅・・以前、陵墓めぐりで訪れた淳和天皇稜の時に降りた場所でもあります。駅前よりは真っ直ぐに西方行へ・・・交通量も少なく、快適な自転車旅の始まりでした。
タケノコの産地である大原野を抜け、金蔵寺へ。こんぞうじ・ここは川綱吉の母、桂昌院の寄進によるものだそうです。
(京丹波の田舎風景)
小塩山の南を通る逢坂峠・・・これを越えればのどかな京丹波の風景が広がります。浮き浮きルンルン、ソロの自転車旅は心の底からリラックスができます。田能で左折、二科川に沿って下り・・・二科山荘、ちょっと気になる施設でした。
九折で右折、その先で左折して県道732へ・・・万願寺、柚原、杉原と走って能勢町へ。ここは大阪府の最北、昭和の田舎風景が色濃く残る農村地帯でした。なぜかちょっと安心感が・・・
(大阪府の僻地?能勢町)
能勢町の中心地へ・・・久佐々神社にて小休止。風がちょっと強いものの、春の近さを感じる陽気に。ここ能勢は浄瑠璃で有名なのだそうだ・・・能勢の浄瑠璃は、太棹三味線と太夫の語りによって物語が進行する“素浄瑠璃”といわれる渋い座敷芸ですが、江戸時代中期、文化年間(1804~1817年)から今日まで200年にわたる能勢の大切な芸能だそうです。現在、200名の太夫がいるそうです。
(猪名川町杉生付近)
県道602にて西進・・・猪名川町杉生より県道12号を北上。西峠を越え、後側へ。再度、上り返して城東トンネル・・・これを抜ければ篠山盆地への下りに入ります。
(篠山・河原町の町並み)
日置より左折・・・裏道となる旧道を拾って篠山市街へ向かいます。篠山らしい雰囲気がそこかしこに・・・民家のたたずまい、その庭の造り・・・良き日本にあふれていました。
京口橋にて篠山川を渡ると、そこが妻入商家群で有名な河原町。伝統的建造物保存地区・・・納得の家並みでした。近代的な建築デザイナーが設計した建物もよいですが、長年の年月を経て残された家屋は動かしがたい貫禄があるように感じます。
(丹波・篠山城跡)
江戸幕府後、豊臣方を包囲する狙いで篠山城を築城。縄張り(設計)は築城名手の藤堂高虎、普請総奉行は池田輝政(姫路城城主)・・・外様大名の財力を弱体化させるのが目的の天下普請ではありましたが、あまりに強固な造りに天守閣は幕府から許可が出ず、本丸に大書院が造られたという。
江戸時代の藩主・・・松平氏8代、青山氏6代で明治に。ちなみに、篠山城は日本百名城57番。
(篠山名物 ぼたん鍋)
現在の繁華街はお城の北に・・・街中を走ると、そこにはぼたん鍋の看板がずらっと・・・冬場、丹波地方は猪鍋を食べる観光客で賑わうようです。値段もなかなかのもの、4千円以上は覚悟する必要があるようです。
今宵の宿は「新たんば荘」・・・公共の宿であり、平日はなんと7500円というリーズナブル・プライス・・・ツインベッドの洋室でリラックスできました。
以前より気になっていたエリア・・・大阪府の北端に位置する能勢町を訪れてきました。スタートは京都の向日町・・・駅前より西方向に進み、大原野、金蔵寺、逢坂峠を越えて二科へ。峠は激坂、その向こうにはのどかな京丹波の田舎風景が広がっていました。
今回のコースは・・・
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=51a2dca8074bb08c5b10ada78bea6b59
県道733、732と走って能勢町へ。ここは豊能郡というのでしょうか、大阪府ではありますが、結構な田舎町でした。浄瑠璃でも有名なようです。更に県道602を西進して兵庫県猪名川町、杉生より北進して篠山市へ。
丹波篠山・・・青山藩の城下町、なんとも素敵過ぎる町でした。黒豆も有名ですが、この時期は猪鍋が人気のようで、繁華街の料理屋はぼたん鍋で一色でした。河原町の妻入商家群は伝統的建造物保存地区、古いグロリアがとてもお似合い。今日の宿は「新たんば荘」公共の宿で、平日は7500円とリーズナブルに泊まれました。
(金蔵寺から逢坂峠へ)
机上ツーリング・・・地図を眺めながら道のエリアを走ることを想像するは楽しいことです。名神高速に沿った道ではうるさそう・・・亀岡市経由、国道372で篠山へ向かうのも味気ない。結果、そのど真ん中を通る県道733、732に目が行きました。
スタートは京都府の向日町駅・・以前、陵墓めぐりで訪れた淳和天皇稜の時に降りた場所でもあります。駅前よりは真っ直ぐに西方行へ・・・交通量も少なく、快適な自転車旅の始まりでした。
タケノコの産地である大原野を抜け、金蔵寺へ。こんぞうじ・ここは川綱吉の母、桂昌院の寄進によるものだそうです。
(京丹波の田舎風景)
小塩山の南を通る逢坂峠・・・これを越えればのどかな京丹波の風景が広がります。浮き浮きルンルン、ソロの自転車旅は心の底からリラックスができます。田能で左折、二科川に沿って下り・・・二科山荘、ちょっと気になる施設でした。
九折で右折、その先で左折して県道732へ・・・万願寺、柚原、杉原と走って能勢町へ。ここは大阪府の最北、昭和の田舎風景が色濃く残る農村地帯でした。なぜかちょっと安心感が・・・
(大阪府の僻地?能勢町)
能勢町の中心地へ・・・久佐々神社にて小休止。風がちょっと強いものの、春の近さを感じる陽気に。ここ能勢は浄瑠璃で有名なのだそうだ・・・能勢の浄瑠璃は、太棹三味線と太夫の語りによって物語が進行する“素浄瑠璃”といわれる渋い座敷芸ですが、江戸時代中期、文化年間(1804~1817年)から今日まで200年にわたる能勢の大切な芸能だそうです。現在、200名の太夫がいるそうです。
(猪名川町杉生付近)
県道602にて西進・・・猪名川町杉生より県道12号を北上。西峠を越え、後側へ。再度、上り返して城東トンネル・・・これを抜ければ篠山盆地への下りに入ります。
(篠山・河原町の町並み)
日置より左折・・・裏道となる旧道を拾って篠山市街へ向かいます。篠山らしい雰囲気がそこかしこに・・・民家のたたずまい、その庭の造り・・・良き日本にあふれていました。
京口橋にて篠山川を渡ると、そこが妻入商家群で有名な河原町。伝統的建造物保存地区・・・納得の家並みでした。近代的な建築デザイナーが設計した建物もよいですが、長年の年月を経て残された家屋は動かしがたい貫禄があるように感じます。
(丹波・篠山城跡)
江戸幕府後、豊臣方を包囲する狙いで篠山城を築城。縄張り(設計)は築城名手の藤堂高虎、普請総奉行は池田輝政(姫路城城主)・・・外様大名の財力を弱体化させるのが目的の天下普請ではありましたが、あまりに強固な造りに天守閣は幕府から許可が出ず、本丸に大書院が造られたという。
江戸時代の藩主・・・松平氏8代、青山氏6代で明治に。ちなみに、篠山城は日本百名城57番。
(篠山名物 ぼたん鍋)
現在の繁華街はお城の北に・・・街中を走ると、そこにはぼたん鍋の看板がずらっと・・・冬場、丹波地方は猪鍋を食べる観光客で賑わうようです。値段もなかなかのもの、4千円以上は覚悟する必要があるようです。
今宵の宿は「新たんば荘」・・・公共の宿であり、平日はなんと7500円というリーズナブル・プライス・・・ツインベッドの洋室でリラックスできました。
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