≪輪旅 古都散策ラン その2!≫
更に裏道を北へ進む。繁華街の賑わいからすれば静かそのものの脇道は自転車天国である。哲学の道の道標に従って右折をする。少し上がった所にその道はあった。
若王子神社から銀閣寺まで、琵琶湖疎水沿いに2km程の小道で哲学者の西田幾多郎博士が愛し散策した事からその名が付いたという。桜並木も素晴らしい。
ちょっと高台を行くその道はとても素朴で京都らしくない雰囲気がいい。のんびりと自転車を走らせるのにも良い場所である。銀閣寺はその終点にあった。
足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。
更に裏道を辿って詩仙堂を目指す。もとは江戸初期の文人、石川丈山が隠棲した山荘であった詩仙堂は、丈山寺という名の曹洞宗の寺である。質素な門を潜り、竹林の中の階段を上がって行くと白砂の敷き詰められた庭に至った。
次の目的地は修学院離宮。この離宮は京都の北東、比叡山の麓に近いところにあり、背景となる山全体を借景とした雄大な庭園で、その広大な敷地は上・中・下のそれぞれ独立した3つの御茶屋に分けられている。 ここは17世紀の初頭に後水尾上皇が山荘として造営したもので、当初は上・下御茶屋だけであり、中御茶屋は林丘寺門跡であったものを、明治になってから離宮に編入したものだそうだ。
ここで道は西へ方角を変え、北山通を走る。宝ヶ池、深泥池と過ぎて上賀茂神社へ向かう。途中、用水横のポケットパーク?にてランチタイムとする。冬の京都といえば湯どうふであるが、まともな店に入ったのでは面白く無い。スーパーで買い出しをし、持参の調理用具で路上ランチと洒落込んだ。
上賀茂神社。この神社は、京都でもっとも古い神社であり、雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除・明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されているという。境内に盛られた砂の塔が印象的であった。
更に西へ進み、光悦寺近くより南下して金閣寺を目指す。正式名は鹿苑寺。足利三代将軍の義満が西園寺家の山荘を譲り受け北山殿を造営し、義満の死後に戒名を寺名にして寺としたという。
きぬかけの道を更に進み、龍安寺の前に至る。衣笠山を背景に鏡容池を中心として方丈、塔頭、庭園とめぐる。有名な石庭は方丈南庭で15個の石を巧みに配置した虎の子渡し...と呼ばれる名庭である。方丈の北側には水戸光圀寄進の知足のつくばいが有る。
仁和寺。御室仁和寺、門跡寺院として格式が高く明治時代まで多くの親王が入山する。別名「御室御所」と呼ばれ内裏の建物を移築した寺内は御所の雰囲気が漂っている。退位後宇多天皇がここで院政を行ったことは有名、桜が特に有名で「御室桜」と呼ばれる境内の遅咲きの桜はとても素適である。
更に裏道を北へ進む。繁華街の賑わいからすれば静かそのものの脇道は自転車天国である。哲学の道の道標に従って右折をする。少し上がった所にその道はあった。
若王子神社から銀閣寺まで、琵琶湖疎水沿いに2km程の小道で哲学者の西田幾多郎博士が愛し散策した事からその名が付いたという。桜並木も素晴らしい。
ちょっと高台を行くその道はとても素朴で京都らしくない雰囲気がいい。のんびりと自転車を走らせるのにも良い場所である。銀閣寺はその終点にあった。
足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。
更に裏道を辿って詩仙堂を目指す。もとは江戸初期の文人、石川丈山が隠棲した山荘であった詩仙堂は、丈山寺という名の曹洞宗の寺である。質素な門を潜り、竹林の中の階段を上がって行くと白砂の敷き詰められた庭に至った。
次の目的地は修学院離宮。この離宮は京都の北東、比叡山の麓に近いところにあり、背景となる山全体を借景とした雄大な庭園で、その広大な敷地は上・中・下のそれぞれ独立した3つの御茶屋に分けられている。 ここは17世紀の初頭に後水尾上皇が山荘として造営したもので、当初は上・下御茶屋だけであり、中御茶屋は林丘寺門跡であったものを、明治になってから離宮に編入したものだそうだ。
ここで道は西へ方角を変え、北山通を走る。宝ヶ池、深泥池と過ぎて上賀茂神社へ向かう。途中、用水横のポケットパーク?にてランチタイムとする。冬の京都といえば湯どうふであるが、まともな店に入ったのでは面白く無い。スーパーで買い出しをし、持参の調理用具で路上ランチと洒落込んだ。
上賀茂神社。この神社は、京都でもっとも古い神社であり、雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除・明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されているという。境内に盛られた砂の塔が印象的であった。
更に西へ進み、光悦寺近くより南下して金閣寺を目指す。正式名は鹿苑寺。足利三代将軍の義満が西園寺家の山荘を譲り受け北山殿を造営し、義満の死後に戒名を寺名にして寺としたという。
きぬかけの道を更に進み、龍安寺の前に至る。衣笠山を背景に鏡容池を中心として方丈、塔頭、庭園とめぐる。有名な石庭は方丈南庭で15個の石を巧みに配置した虎の子渡し...と呼ばれる名庭である。方丈の北側には水戸光圀寄進の知足のつくばいが有る。
仁和寺。御室仁和寺、門跡寺院として格式が高く明治時代まで多くの親王が入山する。別名「御室御所」と呼ばれ内裏の建物を移築した寺内は御所の雰囲気が漂っている。退位後宇多天皇がここで院政を行ったことは有名、桜が特に有名で「御室桜」と呼ばれる境内の遅咲きの桜はとても素適である。
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