昨日のブログでもう1人の自分は完璧症で、、、と書きました。以前に北米で完璧主義はネガティブな印象を与えると書きました。
完璧症について少し。
日本人は「物事を極める」事を好み、そしてそれができる国民だと思います。伝統工芸と言われるものは全て職人技によるもの。何年もかけた技術によるもの。より良いものを作りたい、と言う信念の元に作られています。
私がカナダへ来て紙の角と角を合わせて折れないカナダ人の多さに驚きました(合わせるように言ってもできません)。だから外国人は日本の折紙作品を見て驚くのだ、と知りました。日本食の美しさとシンプルかつ深い味わいもしかり。日本人が器用なのか、それとも昔から文化として細かい事をするから、器用さが日本人に反映されているのか、どうなんでしょうか?
勤勉と勤労も日本人を表す言葉です。自分のベストを出す。限界に挑戦とかも。家族との時間さえも削って仕事に捧げる姿は外国人にとって異常にうつります。何故って北米では人間は完璧ではない、と自負しているから。紙をきちんと折れるかどうかで人生は変わらない。お金がもらえるならともかくサービス残業に意味を持たない。会社は人生の一部で、その人が誰かを決めるものではない、と考えます。転職も当たり前なので、気に入らなければ、不都合であれば転職。人生における仕事のウエイトが日本人に比べて小さいには確実です。
おっと横道に逸れてしまいました。留学生の彼女に戻って。彼女は宿題を何度も何度も書き直します。もっと高難度の内容が書けるのではないかと。北米の高校生の宿題はミニ論文です。しかし彼女は一度も不可をもらった事がありません。彼女にとって不完全でも宿題としては課してある内容が書かれているから。
完璧症が病的に悪化すると、どうなると思いますか?
書き直しを繰り返すばかりで完成品が出来ないため、宿題を完了する事が出来ない。課せられた事が出来ないだけではなく、それに囚われて通常の日常生活が送れなくなります。これは性格の域を超えた病気です。