OOについてもっと知りたかったから、学びたかった、もっと勉強したいと思った
これも日本の方からよく聞く言葉です。これらは大学院への進学理由。
海外では大学院へ進学する理由をミニ論文で書いたり、面接で伝えなければなりません。それには臨床看護を通して得た疑問から何を研究したいのか、または自分の将来像(修士取得後に看護界で貢献したい事)などです。
知識や技術などの勉強は自分でできますから、大学院へ進学する理由にはなりません。
これを聞くだけで大学院を職業学校か何かと勘違いしている、もしくは日本の大学院はその程度のものなのかもしれないと疑いたくなります。そしてそのような学生を受け入れる事は大学側にもどんな卒業生を輩出したいのか、その為にはどんな生徒を受け入れたいか、大学側にビジョンはあるのか?と大学側自体の質も疑問視したくなるからです。
そして最悪なのは修士を取得した後も、何を学んだのかサッパリ、、、これには参ります。しかし、そもそも入学時の動機が不明瞭なので、目的意識のないまま2年が過ぎ卒業時点で、サッパリ、、、と言うのもあり得る結果だと思います。
最近考えるようになったのですが、もしかして学士の教育内容自体が臨床とかけ離れ過ぎていて、「もっと勉強しないと、、、」のドライブへ拍車をかけているのでしょうか?以前も書きましたが私が働くBC州の正看護師たちの完成度はかなり高い。それに看護師に対して期待されるものもはっきりしている。教える大学もクレデンシャルで教育のレベルも保障されている。一般の看護師より、もっと救急の事を知りたい、腎透析看護、手術看護、NICUなど専門性を求め、その分野のエキスパートになりたい場合はそれらを教える学士レベルの大学専門コース(これは学士保持者でも行けるコース)もあり、認定制度もある。ベッドサイドナースとしてしっかりとキャリアを高められるシステムも教育機関も整っている。
このようなものがなく、看護師の免許取得後の教育は臨床しかなく、経験のたたき上げ的な状況だから、大学院へ、、、と気持ちが動くのだろうか?
誰か私に説明してくれませんか?どうして日本で、こんな理解不能な事が起こっているのか???