過去のまとめ
DNRもDNARも患者本人の意思表示であり、指示できるのはカナダの場合医師かNPだけ。
カナダでは決められた記入用紙があり、そのコピーもブレスレットも刺青も法的効力はありません。そして正式な用紙の有効期間は一年と限られている。
ACPは国民の意思表示の道具。記入できるのは患者本人で医師やNPの指示ではありません。
ACPを記入したりDNRやDNARを希望することは決して医療から見放されるではありません。
シリーズ5日目
1〜4日目までカナダのDNRやDNARについて書いてきました。いかがですか?何の目的で、誰の意思表示で、誰が記入できるかなどがクリアでしょうか?国は違えでも日本も同じコンセプトだと理解します。
このようなコンセプトは近代医療で生まれました。医療は科学によって年々進化するので、医療者は知識をアップデートさせなければなりません。それは治療に関することだけではなく、このような医療倫理に関することもです。
参加した講演の中で、日本では一体どうやってこのアップデートを図っているのか?疑問を持ちました。カナダでは重要度により対策は異なりますが、このような医療倫理に関することはオンラインモジュールなどが設定されます。それを修了しなければ施行することはできない、とか免許の更新ができないなどの設定をすることで医療者全てが同じ理解度に立つことを促進させます。またそれぞれの教育課程の変更も行います。このような仕組みがない限り、どんなお偉い先生が執筆をしようと、学会で発表しようと、倫理委員会を作ろうと、まさに絵空事だからです。
講演では、救急医療学会から勧告を出したことで、医師の間では理解が進んだが看護師は変わらなかった、と話されました。
私は演者へ質問しました。限られた学会から出された勧告の効果、特に日本全土の医療職全員に対しての効果、もしくは対策はありますか?と海外の例を話した上で質問しました。明確な解答を得ることはできませんでした。
なんと狭い視野での考え方。縦割りでしか考えられない日本の医療を表していると思いました。日本全体を思慮していない。勧告を読むことでプラクティスが180度変わることを期待している。滑稽だとも思いました。だから日本では同じ職業の中で質のばらつきが出るのです。卒業ほやほやの医師と30年前に卒業した医師の間、出身校、どこで働いているか?そして個人でバラツキが出るのです。
この「システム vs 個人責任」の図式はこの題材に限ったことではありません。私は医療者なので医療に関して言及しますが、個人の能力が悪い、向上心がないと個人を責めてお終いにするのは非常に簡単です。執筆をしたり、講演に出てチヤホヤされても、個人のやった感と満足度だけで、大きな原動力にはなりません。システムチェンジが実践と教育で行われなければ医療の質向上も変化も起こらないのです。
続く
冒頭写真: 小樽オルゴール堂の前にある蒸気時計。んんん?バンクーバーのガスタウンのものと全く同じ?!そう、同じものでした。ガスタウンのものが最初で同じものを注文したそうです。プレートが入っていました。