この2日間で書いてきた不毛な治療、生きる屍話の最終話。
私が日本を離れた25年前。私が働いていた日本の医療現場では亡くなると分かっていても心臓が止まれば心マッサージをするのが当たり前でした。
祖母が亡くなった2012年。老健施設でこれまた亡くなると分かっていたのに、酸素を始めたり、点滴も始めていました。
未だに何故、このような儀式的なことを日本ではしているのだろうか?と思いました。自分が働いている国では望めば化学療法だって拒否できるし、ICUへの転送も、点滴も、拒否できます。しかしこれは死ぬ時に苦しむことを意味するのではなく、症状緩和はしっかり行ってもらえます。
1日目に挙げたようなケースでは、回復の可能性(自立を意味するので脳死は含まれない)では人工呼吸器を中止するのが当たり前になっている。それらが当たり前になったのは、その方向へ医療や社会が動いていった背景がある。医療者と家族間の会話、ACPの普及、緩和ケアの普及も寄与している。それどころかMAiDだって行われている。自分の人生の終幕を自分で決定することができる国。医療者側、国民側を守るためレギュレーションやプロトコールや教育も整備されている。「救命と治癒だけが医療ではない」が明確にされています。
日本の厚労省がACPについてのキャンペーンを始めたのが何年ぐらい前ですか? 病気の人も、元気な人も、自分の最期はどうしたいか家族や医療者と対話していますか?日本の当たり前が変わるように国民一人一人が取り組むべき問題だと私は思います。
医療側が努力しなければならないことはシリーズで書いています。ぜひ読んでみてください。
冒頭写真: 旅行からは戻ってきましたが沢山写真はあるのでこれからも冒頭写真として使っていきます。アイスランドの首都の空港(国際空港よりずっと小さめ)から飛び立った時。