走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

メディアに出る時

2024年06月03日 | 仕事

何度もブログに書いています。


新職種と言うのは周りに一挙一動監視されていると思うのが重要です。特にメディアに取り上げられる時は、勘違いされないように言葉選びに細心の気配りが必要です。


何故かと言うと新職種のことを知らない人にとって「OOする人がXXなのね」と印象を与えてしまうからです。だから言葉選びには気をつけて。以前「寄り添うシリーズ」で長く書きましたが、寄り添うことが看護なのか?看護の一部なのか?プロとは?看護の特性とは?を考えてもらいたくて書きました。


たかが言葉、されど言葉ですから。


新職種でなくても、私が働くカナダでの職場では職場のメディア部門を通さない限り、インタビューに答えることも許されません。あなたの一意見があなただけではなくて職場や職種を代表している意見だと受け止められる可能性があるからです。私の仕事は珍しいし、地域に貢献しているので新聞社から何度か打診されました。毎回、メディア部門を通してからお願いします、と返事をすると、とても面倒くさそうな顔をされます。だって目的とか、事細かに企画書や文面にチェックが入るからです。この関門を喜んで通るメディア側の人はいませんでした。


免許を管理する団体はレギュレーションの中にメディアでに関する規約もあります。日本のSNSで職場の愚痴(同僚や上司)を見かけますが、これもアウト。自身の失敗談や反省めいたものもアウト。なぜなら職種の品位を下げる行為だから。


さあ、前置きが長くなりました。先日、日本から私がSNSにあげたポストが診療看護師を傷つけているから取り下げて欲しいと間接的に連絡を受けました。


見出し写真のキャプションが「語り合う」と書かれていて、がっくりした気持ちを呟いたものでした。


せっかくのチャンスなのに、診療看護師は語り合う人 と受け止められても良いの?と感じてがっくりしたからです。写真の説明でさえも言葉を選んで欲しいと思ったからです。せめて「治療計画を一緒に計画する、、、」とか「看護」とかぐらいかけるのでは?と私は思いました。


メディア側もメディア側の理解の範囲内で書いているわけで新職種は特に社会での理解度が低いので誤った解釈で書かれることは多いものです。だからこそ取材された側も、記事の内容、見出し、キャプションまで、誤解を招くような表現がないかどうか、原稿の内容確認を依頼された時に、念入りにチェックするべきなのです(取材をされた時にはされた側が原稿チェックができるはず。それができない依頼は断ることが賢明です。新聞記者は医療担当者であってもその職種の人ではないので、勘違いは必ず起こります)。そこをスルーしたと言うことは、この言葉が世に出てしまうことに違和感を感じていない日本の診療看護師の文化と私は思いました。


患者と語り合う医療者。


が悪いと言っているのではありません。「語り合う」と言う行為は診療看護師を定義する言葉ですか?


寄り添うことも、手を握ることも、語り合うことも、免許がなくてもできる行為ではないでしょうか?


医療者と言う教育や免許制度を経て初めて、そのタイトルを使用できる職業(あ、日本はそのタイトル権も不明確ですよね。あげっぱなし免許で試験を受けた人、合格した数だけ統計をとっているだけですから)なのだから診療看護師ならではの表現のほうが市民を困惑させることなく、理解が進むのではないでしょうか?


根本にある問題は職種の定義やスタンダードがなく、システム化されていないこと。これについても何度も書いています。個人がどうのこうのではなく、システム化をするために何をしていかなければならないのか(例えば先日書いたように諸外国のNPが何をしているか?ではなくてどのようにシステムが作られているのか視察をするとか)共に考えていくことではないでしょうか?


反対派に押されて前進できない日本の状態も知っています。ならばメディアに出る時は


市民はどう思うのか?

診療看護師を知らない医療者はどう思うのか?

反対派はどう思うのか?


この三つを吟味していただきたいと強く思います。メディアを通して発展に繋げれるかどうかはそこから始まると思います。


続く


冒頭写真: プリマリー寝室









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