sdaruの日記

日々の色色な身の回り事を書いて行きます。

小田原城紀行

2009年10月13日 | 日記

今日の天気は雲も無い晴天です。10月13日の天気です。
大磯のホテルで目覚め、カーテンを開くと晴れ女の娘に答えるような空です。

午前7時半の朝食はバイキング、食堂の椅子に座り込んで選択は女房任せ。
パン、ソーセージ、他色々です。最後にコーヒーを飲みました。
このコーヒー、今一の味、小さなカップで一杯だけ飲んで終わり。

チェックアウトして、小田原へ向かいます。途中ペットホテルへ預けた娘家族の
愛犬を連れに立ち寄り、娘たちの自宅へ10時頃着きました。
よほど可愛いのでしょう、犬が一番の生活とか。

娘の家で、まどろんで、昼食、これはスーパーの既製品、婿殿は犬と遊んで
いました。
2時近くに出かけます、小田原城へ娘夫婦は殆ど来たことが無い様子です。

そうですね、私も地元の観光施設へは行った事がありません。
近いといつでも行けるって言う認識で殆ど気にしません。
小田原城へ着くと、市街地の通りで何か催しがある様子、満杯の駐車場ばかり。

車を降りて、歩いて城に向かいました。
入り口は、何門と言うのか分かりませんが、城址に入りました。


入り口を過ぎると小ぶりな公園です。
日本猿がいました。同行した愛犬名前はハリー君、猿をじっと眺めていました。



犬猿の仲と言いますが、猿は犬を無視、犬はワンとも鳴かないで猿を見ています。
歩を進めると、城が見えてきました。


一応予備知識をと調べて行きましたが、白壁を見てああ、城””うーん。
城への登り口へ、またここで考えました。天守まで登れるか?

この階段は相当急ですが、手摺があります。やれ良かったと登りました。

城の石垣は、時代の経過で積みなおしたようです。石垣の石の苔の生え具合が
違って見えました。
後北条の時代は、ここ小田原城は難攻不落を誇ったそうです。

有名な秀吉の一夜城の前に屈服しました。
今の城は江戸時代に建てたものが、明治に入り解体、また再建を繰り返し
関東大震災で崩壊、また修復されたようです。
戦争での爆撃被害は無かったそうです。

紀行さらに続く

2009年10月12日 | 日記

今日もはっきりしない天気です。
昨日弟の所へ行きました。建長寺への登り坂以上にきつい坂を歩いて行きました。

少しアルコールを飲みすぎたようです。
旅の続きを今日も書きます。
鎌倉から西へ向かうと、雨は降り止み曇り空です。

3時過ぎホテルへ到着し中に入ると、ロビーには結婚披露宴の終わった人が何人も
いました。若い人の和服姿を多く見かけたのですが
すでに衣装の崩れ始めた人も見かけました。雨に備え道行のコート姿もちらほら。

孫娘が出てきました。このホテルの制服姿、その成長にしばし見とれ孫娘を褒め
たのです、制服姿は初めて見たのです。

娘がチェックインの手続きをする間は、ホテルのロビーをきょろきょろ眺めて
いたのです。女房も同じです。
ロビーには月見のススキが飾ってあります。

十五夜を忘れていました。この天気では月を眺めることも出来そうにありません。

チェックインの手続きが済んで、部屋に向かいます。
6階でした。エレベータを降りて、割り当ての部屋へ向かいます。
長い長い廊下でした。客室の並んだ距離は100メートルくらいに思えたのです。
部屋へ入ってベランダから景色を眺めました。
リゾートホテル、遊ぶ人のいないプールが見えます。

部屋の風呂へ入り、暫くベッドに寝そべっていると
少し、とろとろ、していると外には夕焼けが見えてきたのです。
夜の食事は6時から、中華料理を選んでいました。

6時少し過ぎ、地下の食堂へ、孫娘も勤務が終わり同席。
中華のコース料理、味は日本人向けにアレンジしたのか、余り油コックありませんでした。料理食べ終わって部屋に戻り、義息、娘、女房と一杯になりました。

10時頃、女房と娘は大風呂に入ると出かけましたが、
直ぐに帰ってきました。20人位のご婦人が入って居たそうです。
全く言葉の分からない人達、かなり声高に話していたと言っていました。

肌、髪の色は東洋人、スミダが無いから韓国ではない、中国でも無いようです。
大勢の中に混じって、恐怖感を覚え逃げてきた言って居ました。

紀行さらに続く

2009年10月11日 | 日記

今日は好天です。
鎌倉見学はまだ続きます。神社仏閣で御朱印を集めている女房は早速売り場へ向かいました。私は御朱印なるものには興味がありません。何処かへ出かける都度集めてきた御朱印集に張って楽しんでいる女房です。
雨は強くなり、傘を差しての見学、デジカメ撮影も苦労しました。コンデジで良かった、これが一眼レフですと傘を片手では難しくなります。

境内には樹齢何年か分からない巨木が茂っています。

雨の中本殿が見えますが、中は拝見できません。
天気が良ければまだまだ境内を見たいのですが、雨足は強くなります。
お寺そのものにはさほど興味の無い娘、女房はすでに出口へ向かっています。

雨の中、白い花が咲いていました。花音痴の私は名前は分かりません。
跡で女房に聞くと、芙蓉では無いかとのこと?
私も出口に向かいました。途中に大きな鐘突き堂が有りました。
屋根は萱葺きです。ついて見たい思いがありました。

思いを残しながら、建長寺を後にしました。
鎌倉時代の古刹、大きく、落ち着いた雰囲気でした。
雨はなお降り続きます。

紀行続き

2009年10月10日 | 日記

今日は、晴れるでなく、曇るでない中途半端な朝でしたが、今は晴れてきました。
次の目的地に向かいます。建長、円覚、山寺の歌にある、建長寺です。
流鏑馬の準備をしている道の先の鳥居をくぐり、ゆるい坂道を登ります。
急坂ではありませんが、だらだらと道は続きます。
途中の駐車場、表通りの半額です。自分の町の夏のことを思い出し内心笑って
通り過ぎました。目的の建長寺に着きました。
本尊の地蔵菩薩に敬意を表しまず参拝しました。

折から雨が強く降り出しました。周りは少し暗くなり雨足は強くなります。

人々は三門に座り、雨を避けています。雨のやむのを期待しましたが””
やみそうにありません。仕方なく傘を差して見て廻る事にしました。

紀行続く

2009年10月09日 | 日記

今日は曇です。

八幡宮、宝物殿を出てくると、ガイドの説明を熱心に聞いている一団がいました。
巫女さんのも階段を登って行きます。
階段を降りました。左手に綿帽子を被ったお嫁さんが見えました。
一番最初の写真です。
行く先に結婚式場があるのでしょう。新郎とお嫁さんを身内の人らしい人が写真を
写していました。女房は言いました。あんたも写してくればと。
まさか!!関係ない人間だよと言って後ろ姿を写しました。この頃また雨が少し
降ってきました。早く式場へ行ったらと思ってしばし眺めていました。
これで次の目的地、建長寺に向かうことにしました。

紀行

2009年10月08日 | 日記



今日の天気のように一時曇りになりました。階段を登り切って一息入れて、上を
見上げ差し出ている屋根を写しました。このような所を写している人は周りには
いません。私がおかしいのでしょうか。
宝物殿の標識が見えます。娘、女房は余り興味が無いようです。義息と中に入りました。塗りの剥げた古めかしい神輿が見えます。大きなものでは有りません。
私の町の子供神輿くらいでした。5台ほど並んでいました。これは担ぐことは無い
だろうと思いましたが、女房が誰に聞いたか分かりませんが、担ぐと言っていました。順路に沿って中へ進みます。さまざまな人が見ていました。
私の実感は、期待したほどでは無い宝物殿でした。むしろこの宝物を見ている人に
興味がもてました。
見ている異国の人はどんな思い出見ているのかな?の感じです。
私達が外国へ行き、異国の遺物を見る時と同じかなと考えました。
宝物殿を見終わり階段をゆっくりと下りました。
登る時より慎重に、急ぐと踵が階段に引っかかります。転げ落ちたら一大事。
雨は一時降り止みました。さてこれからどうする。先を急ぐ気持ちも有りますが
取り合えず休憩所に入る事にしました。

紀行

2009年10月07日 | 日記

今日は雨です。その日も今日のような天気でした。
薦被りの棚の横に細い道が見えました。入ってみようとすると、警備員が赤い棒を
降って通行止めを指示しています。
雨に濡れた道を馬が通って行きました。流鏑馬に参加する馬でしょう。
この道は諦めて、いよいよ本殿に向かう階段の前に立ちました。
あらかじめ調べていたのですが、実物は高い、手摺もありません。階段の高さは
余り高く無いようです。さてと登り始めました。一歩一歩と。
娘と女房は手を引いて気遣ってくれますが、私と調子が少し違います。
手を離しました。女房は言います、何時もこれだからと。
しかたありません、好意はありがたいのですが、文句は嬉しくありません。
ゆっくりと神殿の前の最上段まで休むことなく登りました。
遠くを見ると、市街地や木立が見えます。
頼朝の時代、高い建物、木立は無かったのでしょう。
海が見えても不思議では無いと思って、暫く遠景を見ていました。
階段を見下ろすとスイスイ登る人、傘を杖の代わりにする人、子供、外国の人の
姿も見えました。神殿の前では携帯電話で写真を写す家族連れも見えました。
さてこの後はどうする?宝物殿が見えました。おもむろにその方向へ足を向けました。

紀行

2009年10月06日 | 日記

小田原に着くまでの在来の東海道線の中の車内の様子を思い出しながら鎌倉に
着きました。当地を走る電車は、観光使用のものが多いので、対面する人を見る
ことは少ないのですが、在来の東海道線は横長の椅子です。
混んでいませんので対面の人の様子がよく見えます。20歳に満たないと思われる
女の子、4人が座っていました。盛んにお喋りをしています。左端に座った子は
口数が少ないようでした。一番のお喋りはお世辞にも綺麗と言えない子でした。
来ている服も何かちぐはぐ、意識して見たのではありません。4人全員がテレビで
見る若い女の子の一部のように感じました。ふと目を左に向けるとさまざまな人
座っています。生活に疲れてしまった感じの人、両耳に栓をしているのは音楽を
聞いているのでしょう。携帯電話を見入る人、通路に立っている人の殆ど無い
車中でした。そんな事を思っているうちに車は鎌倉に着きました。
雨は少し小降りになりました。駐車場を見つけるのも一仕事でした。
見つけて入った駐車場、2時間、2000円とか、結構良い値段です。
いよいよ八幡宮に向かいます。神橋は通行止めで、左横の通路を通ります。
まず目に入ったのは、酒造会社寄進の薦被りの棚でした。
娘が言いました。呑べいの2人、この前で写真を写せばと。娘持参のデジカメは
まともに働きません。私のデジカメで交互に写真を写しました。
薦被りの写真だけ載せました。先を急ぐ娘、女房はすたすたと歩いて行きます。
参拝する人々を見るのも楽しみの私はきょろきょろして歩いて行きました。
尿意を覚え、トイレを探したりしながら、早足で歩く若いカップル、団体で来た
人々、ベビーカーを押す外国の人、ヒューマンウオッチも楽しいものです。
先行した娘と女房、本殿に向かう階段の下で待っていました。
さてこの階段、どう登る、これはまた明日書きます。

紀行

2009年10月05日 | 日記

昨日、一昨日とブログを休みました。
長女夫婦の招きで、小旅行に女房と出かけました。
行く先は、鎌倉、小田原城の見物でした。
晴れ女を自称する、長女でしたが、初日の鎌倉は雨でした。
寡黙な長女の旦那の運転する車で鎌倉へ行きました。
今まで、神奈川県を車で走った事は有りません。小田原から鎌倉までは近いと
思っていました。出かける前夜地図を見ました。いや驚きました。
伊豆半島の先から、付け根位の距離がありました。行った事が無いとは言え距離感
の無さに自分であきれました。腰の重さを理由にここ10年くらい旅行に出た事は
有りません。今回も長女夫婦の強い誘いで出かけました。
鎌倉は雨でした。頼朝ゆかりの鶴岡八幡宮へまず寄りました。
自分の記憶では、昔行った事があるように思っていました。
実物を見ました。全く自分の思っていたのは勘違いでした。
何処と感違いしたのか?????連続です。
東照宮?三島大社?どちらでも無いようです。考えました。
本を読んでいるとき、テレビを見ていた時に刷り込まれた記憶?
一昨日からずーっと考えていますが分かりません。
しかしどうしてもと意地になり考えましたが、駄目です。諦めました。
デジカメで写した写真を見ながら暫くこのブログを書いて見ます。
今日はまず、出かけた電車の中で出てきた薄日に2人で期待をしたところから。
タイトル、紀行としましたがそれほど大げさなことでは有りません。

孫の質問

2009年10月02日 | 日記

6番孫が聞いてきました。
お爺ちゃん、東京の中央区は役所があるの?
それと多摩市とどう違うの?多摩市は市役所があるの?と。
私の市にも中央区があります。
これが混乱の原因のようです。さてどう答えるか、一時考えました。
東京都は静岡県と同じだよ、静岡県静岡市と言うだろう。
それだから、東京都多摩市と言うのと同じだよ。
孫はまた言いました。それじゃ中央区はどうなるの?と。
中央区は東京都中央区と言って、区長は選挙で選ぶ、区議会もあるよ。
それじゃ、静岡市の葵区と言うのと同じだね!!!!!
都道府県と言って、京都は京都府と言うんだよ。
ふーんと言って居ました。行政の仕組みに少し興味を持ち始めた孫、理解できたか
どうか分かりません。
また言いました、俺は今の総理大臣の名前を知ってるよ。
クラスの中で知っていたのは2人だけだったよと得意になって言いました。
でも今の総理大臣は嫌いだ、目がギョロットしていてるから。
総理大臣で一番若いのは誰?はてこれには困りました。
前の人では安部さんは若かったよ。次の福田さんはお爺さんだよねと孫が言います。何故と聞くと、頭の毛が少なかったものと言いました。
学校で教わるのでは無いようです。テレビを見ての感じで言っているようでした。
写真の土蔵の壁は本物の土蔵です、土蔵もどきもあるのです。

神無月

2009年10月01日 | 日記

神無月、10月になりました。
神様が出雲へ出張して、何処の神社も神様が不在になると言われています。
まあこれは伝承ですから、第一、神様の姿見た人はいないでしょう。
残るは、霜月、師走だけになりました。カレンダーもダイエットしています。
もっとも、お祭りだけに存在する神社もあります。
写真の神社、普段は禰宜さんもいません。誰もいない神社です。
祭りと節分だけ人が来ます。それでも氏子いるのでしょう?
今日は晴天になりました。流石に半袖のシャツでは肌寒い、季節は移って行きます。食欲の秋とも言います。最近は夏痩せと言う事を余り聞きません。
1年中痩せたい人はいくらでもいます。私は何キロ痩せましたの広告は氾濫して
います。無理して痩せることも無いと思うのですが?
特に若いご婦人、痩せ過ぎて病的な感じの人もいます。
親はダイエット、子供は肥満、こんな家族を見ることも有ります。
なんか可笑しいように思います。