中国で日常的な常用漢字として用いられている字数は約3500字(1988年現代漢字常用字表)と定められている。
漢字Onlyの常用字数としては少ないように思う。事実、2010年版の「漢字大辞典」には6万370字、1994年版の「中華字海」には実に8万5568字も収められているそうだ。
一体どんな漢字がどんな場合にどう使われるのか、思っただけでも気が滅入りそうになる。それは兎も角、中国語で日常的に使う常用漢字は、多寡が約3500字である。
だから、その記憶・読み書きはさほど苦にならないだろうと思いきや、これがさにあらずで、旧漢字を簡略化した簡体字が多いこともあり、元の字がどんな字だったのか見当も付かない漢字が相当ある。
簡体字では単なる略字にしか見えず、意味は不明でも元の字を見て納得出来る漢字も随分多い。例えば、図-图 親-亲 節-节 聴-听 郵-邮 書-书 開-开 作-做 認識-认识、復習-复习、議論-议论、進行-前进、遅刻-迟到のような次第である。
手元に「日中字形対照表(字数:625字)」を置いて、簡略化された元の字がどういう字なのかその都度確認している。この簡体字の意味はこうで、書き方はこうだと丸覚えすれば元の字確認は不要な筈だ。
だが、理屈を承知しないと、物覚えが出来にくい年寄りの悪い癖があるから覚えるのに時間もかかる。だから進度はとろい。僅か600余字、されど一字で多様な使い方(動詞、副詞、形容詞、接続詞的用法)をする字もかなりある。でも、そうした用法も含め、そのうちこれらの漢字の意味と読み書き及びその用法を何とか習得したいと願っている。
ところで、国により文字の特徴は当然異なるけれども、その文字が示す意味には全て共通性がある。前記の例のように例えば、中国語では、議論-议论 進行-前进 遅刻-迟到と書くが、これらの言葉を他の言語で表現してもその意味は世界共通だ。どんな国の言葉にも全て世界共通の意味があるから、そのことが言語学習のベースになっているのだろう。
今の時代は、語学の勉強の面でも大変有難い環境条件が整った時代である。多種多様な語学教材・教具に選択に困る程多過ぎる語学関連情報等にも恵まれ過ぎている。その昔の先人達はどんな手法で多言語を短期間で学んだのか、ラジオを通して懇切に中国語講座を進めて呉れる講師の教えを聞きながら、ふとそんなことを瞑想する時もある。
その昔、聖徳太子は西暦600年に初めて遣隋使を派遣した際「日出処天子、至書日没処天子無恙云々」の親書を使わしたと日本書紀に記されているそうだ。
当時、隋に派遣された先人達は、事前情報も極めて乏しく、かつ基礎的語学力も殆ど無き状態で異国に渡り、その異郷の地で如何にして相互理解を深め、限られた年数内で異国語を理解乃至は習得して帰来したのだろうか。
鎌倉時代の初期、曹洞宗の開祖・道元禅師は、西暦1223年に南宋に渡り、1228年28歳で帰国、この間膨大な仏典を持帰り、後年その仏典を「正法眼蔵(全33巻)」と称する仏教思想書として集大成しているとのことだ。
そんな先人達の業績を語学習得の側面から思い描くと、僅か3500字程度の中国常用漢字の習得に四苦八苦している自分が如何にもお粗末に思えてならない。だから、この辺で老生の駄長な語学学習談義もこれで終わりとする。(完)
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