気心は未だ若い「老生」の「余話」

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古くて新しい「憲法改正関連」問題(1)

2015-02-13 12:22:03 | 自学

この問題を語る前に、一寸長くなるが、先日の建国記念日に纏わることに触れたい。

今年も立場・主張を異にする2月11日関連の集いが都内でも例年の如く行われた。外国人から観れば、巷に国旗が殆ど見当たらず、それらしいお祝い行事等何処を見ても認められない日本の建国記念日程不思議な祝日はない・・と思われているだろう。

諸外国での建国記念日は、国の独立・他国との戦いや支配からの解放等を記念して制定された日である。云わば先人の「血と汗」の代償の結果制定された特別の日だから、国民的関心がことの他高いのは当然だ。

幸いなことに、わが国の建国に伴う歴史には、諸外国のような負の側面の遺産は無かった筈だ。加えてどの国よりも、建国の起源とされる時期は古くその時期は、神武天皇が即位した西暦前990年とされている。神話の時代のことだから、客観的事実については大いに疑問だ。

でも、裏付けはなくても、我が国の建国記念由来の起源・時期は歴史的にかなり古いことは確かだ。だから、明治政府は、明治6年(1873年)2月11日を「紀元節」として指定し、終戦直前まで全国各地で奉祝行事が行われていた。当時小学生低学年だった当方には、今もその記憶がかなり鮮明に残っている。

戦後長い間、この「紀元節」という日は、占領政策のもとで埋没していたが、昭和41年(1966年)、名称を変え、「建国記念日」として復活した。この復活と呼称についても、当時「建国記念日」設置反対の世論や運動があり、その流れが、近年では「憲法改正の是非論」に繋がって来ている。

明治6年の制定から我国の建国の日として、既に約140年も経ているのに、この日自体を無視又は否定する側の人達や団体がいることは、嘆かわしいことであると思う。

そして、この日のことをとかく批判する人達や団体は、何故か日本の憲法については絶対擁護の立場に立っている。他方、建国の日擁護の人達や団体は、自主憲法制定を声高に主張している。何故二つの流れになっているのだろうか。・・・理由は諸々あるからだ。

学生の頃当方は、憲法の講義等を通じこの憲法は世界に誇るべき素晴らしい憲法だと思っていた。だが現在は、例えば「憲法前文の諸記述内容」や「憲法9条と自衛隊」の問題一つをとっても諸々の疑義があると感じている。

平和憲法と称する神聖不可侵の法典があるから、日本の安全は守られているとの主張があるが、これは誠に手前勝手な論理であり、その論理はこれからの世界には通用しないと当方は思っている。

建国記念日と憲法問題に関し、当方は改めてそう認識しているし、現憲法上の諸々の疑義について拙いブログで愚痴りたいので、次回はそんなことを綴りたい。


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