昨日の続きです。
そういえば、
娘は小学生低学年の頃、「どうしてわたしは、しょうがいじなの?」
と聞いてきたときがありまた。
それまで、私は娘に直接しょうがい児とは言っていなかったけど、いろんな人の言葉を聞いて、そう思ったんだと、はっとしました。
ぐっと言葉に詰まって迷ったけど、あのころ読んであげていた「さっちゃんのまほうの手」という絵本をみせて、
「めいもママのお腹の中にいるときに、けがをしたの。だから他の人と違ってすぐにできないこともあるけど、
めいがいるからみんなしわあせなんだよ」というようなことを話した覚えがあります。
私は、できるならば、しょうがいという言葉を使いたくない、私だけの感じ方かもしれないけど、この言葉自体がしょうがいと共に生きる人たちの存在を低くみている感じを受けてしまいます。
日本語では、この表現を使うしかないから仕方ないけど…せめて、できるならば、「しょうがいしゃ」や「しょうがいじ」でなく、
「しょうがいと共に生きる人」と言いたいです。
国立市では2005年にしょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言をして、昨年その実現のための条例ができました。
今年の4月からは、障害者差別解消法が施行されて、しょうがいを理由に差別をすることは法で禁止されるようになりました。
しょうがいというだけで、そうでない人があたりまえにできることが、あたりまえにできないことや状況がいっぱいあります。
あたりまえって、簡単にいうけど、実は簡単ではないというのは、末娘がしょうがいを持って生まれてきて育つ過程で、実感しました。
娘は先天性サイトメガロウイルス症候群という病気で生まれたときから脳にしょうがいがありました。
保育器を出た後、脳と胎盤の検査でわかったそうです。
医者から「日本では、約0.05%の確率でなる病気で、重篤になる可能性があります。治りませんが、早期訓練をすることで発達を促すことはできます。」と言われ、早くわかっただけでもラッキーだったと、生後6か月から様々な訓練に通い、発達にいいと言われることは、何でもできる限りのことをしました。
毎日の送り迎えから入浴など、ずっーと一緒に過ごしていく中、この子が普通だったらどうかなと考えたことが一度もないと言ったらウソになります。
でも、自分がみれない部分をいろいろな療育者やヘルパーさんや周りの方に助けてもらって、ここまで成長できたと感謝しています。
この子のおかげで、しょうがいを持っている方がたとそれを支えているたくさんの方に出会い、世界が広くなりました。
何より、私もめいの兄も姉も、末娘から、目に見えないものをたくさん学ばせてもらったと思います。
人は、だれもがみんな同じ命と尊厳があること、いてくれるだけでいいんだよと存在そのものが大切と実感できるのも、末娘の存在が大きいと思います。
一昨日は、知的しょうがいしゃの親の会である「国立市手をつなぐ親の会」の総会がありました。
総会の前に議員や市役所職員さんとの懇談会があり、国立市誰もがあたりまえに暮らすまちにするための「しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言」の条例についてやグループホーム、緊急一時預かりなどについての話が出ました。
知的しょうがいと共に生きる子どもの親にとっては、自分たちが亡き後の問題は、大きなものです。
手をつなぐ親の会の会員も高齢化しており、自治体や国でもっと施策を作っていかねばなりません。
自分が亡き後も、地域で生活できる場所、たとえばグループホームなどが必要です。
地価の高い東京では、土地を探し購入するだけでも大変だけど、補助は建物に2100万円しか出ません。
私も何度か議会で取り上げてきた空家の活用としてグループホームのために活用できる道はないのなどの質問が出ました。
今年度、市が実態調査をするいうことで、今後の課題だと答えていました。
そういえば、
娘は小学生低学年の頃、「どうしてわたしは、しょうがいじなの?」
と聞いてきたときがありまた。
それまで、私は娘に直接しょうがい児とは言っていなかったけど、いろんな人の言葉を聞いて、そう思ったんだと、はっとしました。
ぐっと言葉に詰まって迷ったけど、あのころ読んであげていた「さっちゃんのまほうの手」という絵本をみせて、
「めいもママのお腹の中にいるときに、けがをしたの。だから他の人と違ってすぐにできないこともあるけど、
めいがいるからみんなしわあせなんだよ」というようなことを話した覚えがあります。
私は、できるならば、しょうがいという言葉を使いたくない、私だけの感じ方かもしれないけど、この言葉自体がしょうがいと共に生きる人たちの存在を低くみている感じを受けてしまいます。
日本語では、この表現を使うしかないから仕方ないけど…せめて、できるならば、「しょうがいしゃ」や「しょうがいじ」でなく、
「しょうがいと共に生きる人」と言いたいです。
国立市では2005年にしょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言をして、昨年その実現のための条例ができました。
今年の4月からは、障害者差別解消法が施行されて、しょうがいを理由に差別をすることは法で禁止されるようになりました。
しょうがいというだけで、そうでない人があたりまえにできることが、あたりまえにできないことや状況がいっぱいあります。
あたりまえって、簡単にいうけど、実は簡単ではないというのは、末娘がしょうがいを持って生まれてきて育つ過程で、実感しました。
娘は先天性サイトメガロウイルス症候群という病気で生まれたときから脳にしょうがいがありました。
保育器を出た後、脳と胎盤の検査でわかったそうです。
医者から「日本では、約0.05%の確率でなる病気で、重篤になる可能性があります。治りませんが、早期訓練をすることで発達を促すことはできます。」と言われ、早くわかっただけでもラッキーだったと、生後6か月から様々な訓練に通い、発達にいいと言われることは、何でもできる限りのことをしました。
毎日の送り迎えから入浴など、ずっーと一緒に過ごしていく中、この子が普通だったらどうかなと考えたことが一度もないと言ったらウソになります。
でも、自分がみれない部分をいろいろな療育者やヘルパーさんや周りの方に助けてもらって、ここまで成長できたと感謝しています。
この子のおかげで、しょうがいを持っている方がたとそれを支えているたくさんの方に出会い、世界が広くなりました。
何より、私もめいの兄も姉も、末娘から、目に見えないものをたくさん学ばせてもらったと思います。
人は、だれもがみんな同じ命と尊厳があること、いてくれるだけでいいんだよと存在そのものが大切と実感できるのも、末娘の存在が大きいと思います。
一昨日は、知的しょうがいしゃの親の会である「国立市手をつなぐ親の会」の総会がありました。
総会の前に議員や市役所職員さんとの懇談会があり、国立市誰もがあたりまえに暮らすまちにするための「しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言」の条例についてやグループホーム、緊急一時預かりなどについての話が出ました。
知的しょうがいと共に生きる子どもの親にとっては、自分たちが亡き後の問題は、大きなものです。
手をつなぐ親の会の会員も高齢化しており、自治体や国でもっと施策を作っていかねばなりません。
自分が亡き後も、地域で生活できる場所、たとえばグループホームなどが必要です。
地価の高い東京では、土地を探し購入するだけでも大変だけど、補助は建物に2100万円しか出ません。
私も何度か議会で取り上げてきた空家の活用としてグループホームのために活用できる道はないのなどの質問が出ました。
今年度、市が実態調査をするいうことで、今後の課題だと答えていました。