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社会学者で、ラジオの「テレフォン人生相談」などでも知られる早稲田大学名誉教授の加藤諦三(かとう・たいぞう)氏が、3月25日のPHP Biz Online に、「悩んでばかりいる人」に関する興味深い論評を寄稿しています。
氏は論評の中で、自分が「悩んでいる」と考えている人は、実はいつも何ごとかに悩んでいると述べています。そして、彼らが今悩んでいる外的な要因が、実は悩みの本当の原因ではないことが多いと指摘しています。
悩んでいる人は、「苦しい、つらい」と悩むことを通して、無意識に蓄積された怒りを間接的に放出しているに過ぎない。だから悩んでいる人にとっては、悩んでいること自体が「救い」や「安らぎ」になっていると、加藤氏はこの論評で述べています。
何かに失敗したり、思うようにならなかったりする現状に対し、事態を改善するだけのエネルギーは持ち合わせていない。かといって、現実を受け入れるだけの心の能動性もない。そうした場合には、嘆いていることが心理的にもっとも楽な「ポジション」となるというのが、こうした状況に対する加藤氏の認識です。
「悩むまい」と思っても、悩まないではいられないのだから、それは「悩み依存症」とも言える状況だと加藤氏は言います。
アルコール依存症の人にとって、アルコールを飲むこと自体は決して喜びではないし身体のためにならないことも判っている。しかし、それでも飲まないではいられないのが依存症の「依存症」たる所以であり、同様に悩み依存症の人々も、「悩むこと」を通して蓄積された怒りや憎しみを表現し、無意識の欲求を満たしているということです。
そもそも「悩まずにいられない人」は、通常、このような自分が自己憐憫をしている「目的」というものに気がついていないと加藤氏は言います。
悩み、嘆いている人は、現実の困難に際して自分を変えることを無意識に拒否している。だから目の前に起きていることに対処しないのである。つまり、悩んでいる人には問題を解決する意志がないというのが加藤氏の見解です。
氏は、問題を解決するには、こうした現在の心理的な居心地の良さから離れなければならないと言います。
しかし、それができないからこそ「悩んでいる」。「つらい、つらい」と言いながら、変わる努力を拒否して退行願望にしがみつく。それが「自分を変えることを無意識に拒否している」悩める人の姿だということです。
実は、嘆いている人自身、「嘆いていてもそんなことは何の解決にもならない」ことが分かっている場合が多いということです。それでも、嘆いていることで、退行欲求が満たされているという心地良さがあり、そう簡単に嘆くことをやめられない。
つまりその場合、「嘆いていても、何の解決にもならないよ。」といったアドバイスは無意味であり、悩んでいる人を不愉快な気持ちに追い込むだけだと加藤氏は指摘しています。
氏は、そうした「悩まないではいられない人」に対しては、「私は変わること(自ら課題を解決すること)を拒否している」という事実を意識化させることが大切だと説いています。
さて、貴方はなぜ悩み続けるのか?それは問題の解決に努力するよりも、問題を嘆いているほうがはるかに心理的に楽だからではないのか。…自分自身に対する、そうしたシンプルな問いかけが必要とされる「タイミング」というものが、確かにどこかにあるような気がします。
問題の解決に向き合うためには自発性や能動性が必要です。また、そのための意志や意欲やエネルギーを、どこからか補給する必要もあるかもしれません。
一旦、成長動機が動き出せば、「悩み」がもたらす負の循環から抜け出すことができる。つまり自分が変われば嘆き病は治るとする加藤氏の指摘を、私も示唆に富んだものとしてこの論評から受け止めたところです。
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