美術館を出て、地下鉄駅に向かう途中にあったエクシオールカフェで一服。
座って帰りたかったので、地下鉄で京都まで、そこで近鉄に乗り換えて奈良までというルートを選びました。
京都駅で橿原神宮前行き急行の止まっているホームへ向かおうとすると、しまかぜがやってきました。
これはこのあと回送となるようです。
美術館を出て、地下鉄駅に向かう途中にあったエクシオールカフェで一服。
座って帰りたかったので、地下鉄で京都まで、そこで近鉄に乗り換えて奈良までというルートを選びました。
京都駅で橿原神宮前行き急行の止まっているホームへ向かおうとすると、しまかぜがやってきました。
これはこのあと回送となるようです。
時間があったので、地下鉄烏丸線で烏丸今出川→烏丸御池まで。
そこから歩いて5分ほどで、京都文化博物館。
三条通沿いにはレンガ造りのレトロな建造物が沢山あります。
もちろん京都文化博物館自体が旧日本銀行京都支店なのですが。
中京郵便局。
みずほ銀行京都中央支店。
後ろに見えるのはホテルモントレ京都。
今開催されている特別展は
レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展
~日本初公開「タヴォラ・ドーリア」の謎~
恥ずかしながら、アンギアーリの戦い、も、タヴォラ・ドーリア、も何のことか知りませんでした。
レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の大壁画計画《アンギアーリの戦い》は、今も多くの謎と痕跡を残しています。
同壁画はイタリア・ルネサンス美術の歴史の中でも、最も野心的な装飾計画のひとつです。
シニョリーア宮殿(現バラッツォ・ヴェッキオ)を舞台にレオナルドとミケランジェロが戦闘画において競演したエピソードは大変有名ですが、
その計画の全貌はいまだ明らかにされていません。
本展のメイン作品は、失われたレオナルドの壁画の中心部分をなす激烈な「軍旗争奪」の戦闘場面を描いた、
日本初公開の《タヴォラ・ドーリア(ドーリア家の板絵)》として知られる著名な16世紀の油彩画です。
本展ではさらにミケランジェロが構想した壁画の原寸大下絵を模写した、
同じく日本初公開の板絵《カッシナの戦い》画出品されます。
原作が失われた二大巨匠の壁画が、 いずれも本邦初公開の貴重な板絵差k品により500年の時を越えてならびあう、
イタリア美術史上初の展示が日本で実現します。
レオナルドの構図に基づくその他の模写作品や派生作品、関連する資料類、関連する歴史的人物の肖像画など
《アンギアーリの戦い》に関する作品・資料が一堂に集結する世界でも始めての企画展。
レオナルドが試みた視覚の革命を検証し、イタリア美術史上の一大エピソードである失われた壁画の謎と魅力に迫ります。
(ちらしより)
そもそもこのタヴォラ・ドーリア、所有は東京富士美術館でしたが、2012年、イタリア共和国と日本での展示権利の交流協定を前提に、
イタリア共和国に寄贈したものです。
フィレンツィエ文化財美術館監督局、イタリア文化財・文化活動・観光省、ウフィツィ美術館などの全面協力を得て、
2015年から2018年まで、日本で巡回展が行われることとなったようです。
東京富士美術館→京都文化博物館→宮城県美術館と巡回です。
なぜ、二つの壁画が未完になったのか、
レオナルドの未完の絵画を模写した多くの絵画が展示されています。
レオナルドのアンギアーリの戦い、人物、馬、緊迫感満点ですね。
二つの壁画。
さて、この後、二階の総合展示室で
ユネスコ記憶遺産登録候補 東寺百合文書2 -足利将軍の「手」-
「ひゃくごうぶんしょ」です。「ゆりぶんしょ」ではありません。
東寺百合文書とは、東寺に伝えられた二万五千通に及ぶ古文書群の総称で、
わが国の古代・中世の政治、経済、社会に関する必須の資料群です。
天皇や将軍といった東寺の為政者や、市井に暮らす庶民まで、この文書群は中世を生きる人々の姿を雄弁に語ります。
一千年いわたる京都の長大な歴史がつまった東寺百合文書は、現在ユネスコ記憶遺産登録候補として推薦されています。
本展覧会ではこの膨大な東寺百合文書の中から、歴代足利将軍の直筆(手)を伝えるものを選び、展示を構成します。
南北朝時代から室町時代は東寺百合文書のなかでもとくに充実した内容を持つ古文書が多く、
日本史上重要な事件が起こった時代とも符合します。
室町幕府が京都に登場し、どのように文書を機能させてきたか、
また室町幕府にとって東寺はどのような寺院だったのか。
足利歴代の古文書を通して紹介いたします。
(ちらしより)
一番多いのが足利義詮の文書なんですね。
武家の「手」、そして「花押」が興味深いです。
次回の特別展は、「実相院門跡展」のようです。
朝からよく晴れ、風呂掃除、トイレ掃除、洗濯。
洗濯物は11時過ぎには乾いていて、取り入れた後どうしようかな、と迷っていたのですが、
相国寺承天閣美術館で「伊藤若冲と琳派の世界」展をやっているのを思い出し、
出かけてきました。
たまたま京都国際会館行きがやってきて、ラッキーです。
乗り換え無しで、烏丸今出川まで行けます。
平城宮跡の大極殿を車窓から。
暑いためでしょう、門の下に1人いるだけ・・・
地下鉄烏丸今出川を降りて、烏丸通を北上。
通りの東西は同志社大学です。
暫く行くと「相国寺→」の案内板。
ここから美術館へ向かいます。
途中にあるのは塔頭の一つ瑞春院。
そう、水上勉の「雁の寺」の舞台です。
電車の中で読んでいた文庫本と、部屋を出て駅に着くまでにあるセブンイレブンで受け取ってきたDVD。
案内に沿って進み、庫裏の手前を左折すると、美術館です。
美術館への道。
この美術館は、下足を脱いでの入館となります。
お香の香りが漂っています。
今年は伊藤若冲(1716~1800)生誕(数え)300年となります。そして琳派の創始者とされる本阿弥光悦が洛北鷹峯に芸術村を築いて(1615)今年で満400年を迎えます。若冲は京都錦の青物問屋「枡源」の跡取り。光悦は刀剣の鑑定、研ぎを生業としておりました。同じく琳派の尾形光琳・乾山は京の呉服商「雁金屋」の子息。若冲も琳派の画家たちも皆裕福な町衆の出身でした。若冲は相国寺113世住持海荘顕常(大典禅師)を生涯の師とし、また道友として親交。師より禅・文芸の指導を受け画業に専念。狩野派や琳派、中国宋・元の技法を学び、独自の写実画を完成しました。
この度、この節目の年を記念し、相国寺・鹿苑寺・慈照寺に伝わる若冲と琳派の名品の数々を同時に展示します。是非御高覧下さい。
(ちらしより)
そうなんだ、鹿苑寺(金閣寺)も慈照寺(銀閣寺)も、相国寺の塔頭なんだ、知らなかった・・・。
尾形光琳・酒井抱一・鈴木其一・富岡鉄斎による朱衣達磨図、
右隻・左隻入れ替えてもピタッと絵が合う「蔦の細道図屏風」、
鹿苑寺大書院旧障壁画、などなど、見所満載でした。
帰りに境内をぶらり。
方丈
「友愛記念鐘」と彫刻のある鐘が吊られている鐘楼「天響楼」。
「友愛」と聞くと、あの某国で土下座をした元総理を思い出してしまう・・・
お寺なのに鳥居。八幡宮です。
浴室
洪音楼
法堂(ほっとう)
東に先日送り火が行われた如意ヶ嶽が見えていますね。
大通院
経蔵
秋の特別拝観が9/25~12/15。
瑞春院はいつ特別拝観があるのかなぁ・・・
美術館を出て、興福寺へ向かいます。
あれ?この道路の右側に歩道があったのに無くなっている。
どこを歩いたらいいのかなと思っていると立て看板があって。
えっ、文化会館のほうへ行かないといけないのか?
って、路肩歩く老夫婦。
そりゃそうだわなぁ・・・。
興福寺東金堂の前に立派な角の鹿。
南円堂にお参りをしてお経を唱えていると、五月蝿い一団が延々とすぐ下の道を通ってゆきます。
安保反対のデモのようです。
興福寺の入り口でビラ貰ったのですが、共産党・民主党の国会議員の名前が入っていました。
もうちょっと静かにできへんのかなぁ。
南円堂の北に朝顔がまだ咲いています。夕方なのに。
月と百日紅。
境内にある金春流のお能の発祥地の石碑。
部屋に戻って、生駒山。
ちょうど太陽が沈むところでした。
さて、このまえ受け取ってきたコーヒーケトル使ってみました。
まず蒸らし。
沢山泡が出てきたので、
そっと、500円玉くらいの大きさに、円を描くように湯を注ぎました。
注ぎ終わってもまだ泡が沢山。
気のせいか、コーヒーメーカーで淹れるコーヒーとは全く違います。
JR奈良駅のすぐ隣にある観光案内所でもらった、
「国際現代アート展なら2015 後期特別展
中国第12回全国美術展受賞優秀作品による 現代中国の美術
百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」
のちらし。
5年に一度開催される中国最大の展覧会「全国美術展」。
数万点の応募の中から厳選された約80点が堂々の来日。
2mを越える大画面に雄大な自然や、年の空間、そして人々の暮らしなどが圧倒的な描写力で描かれた
驚異のリアリズム絵画が一堂に会します。
多民族国家を象徴する多様な価値観と美意識が反映された、
まさn百花繚乱伸びの世界が展開される現代中国美術のパワーを、ぜhご体感ください。
(ちらしより)
大したことないだろうと高をくくっていたのですが、いえいえ、すばらしい展示でした。
後で知ったのですが、フラッシュを使わなければ、カメラ撮影はOKのようです。
もう一度みたい展示でした。
何点か気に入ったものがあったので、次回撮影してきます。
さて、次回の展覧会は「―錦絵誕生250年― 浮世絵版画 美の大世界」らしいです。