神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会
みなとみらいシリーズ 第339回
2018年5月19日(土)横浜みなとみらいホール(大)
指揮 沼尻竜典
久々のみなとみらいホール。最近文化の匂のあるところに
行く機会も少ない。潮の香がするホールの扉を開けると、
あぁ、コンサートに来たんだなぁと思う。
クラシックでもネクタイ・スーツで臨むことはない。
相変わらずの末席システムなので、他の用事もあること
から、カジュアルな服装で出かける。
今日は大曲1曲のプログラム。マーラーの交響曲第9番ニ長調。
一曲で1時間半くらいかかる。大学の講義1コマ分くらいの
労力。通しで演奏され、トイレ休憩はない。
沼尻氏は1990年ブザンソンの指揮者コンクールで優勝しデビュー。
海外のオーケストラと活動し、国内の団体の指揮活動もし、
作曲家活動や桐朋音楽大学の教授でもある。
多彩なキャラクターを持つ指揮者。
彼が日本で活動し始めたころと、自分がコンサート通い
していた時期がかぶるので、1-2度実演に接したことが
ある。小澤氏や秋山氏の薫陶を受けたこともあり、
交通整理の上手いある意味手堅い指揮者というイメージを
もった。
今日のマーラーはどうだろうか。
交響曲の最高峰というレッテルもある。長時間の拘束を
聴取者も強いられる。マーラーの意図するところが
伝えられるだろうか。
あいかわらず、当日券のあいたところ下からシステムで
席を選んだ。一人なので何とでもなる。4,500円のB席
三階センターの後ろの方の通路席。
ステージまでの距離はあるが、高さがあるので、それほど
遠い感じはしない。
指揮者の曲目解説が演奏前にある。それを端折って席につく。
ほどなくして開演。メンバーがステージに集まり、立って待つ。
主席ソロコンサートマスター(Vn)が最後に出てきて、
皆で一礼して着席。その後指揮者が出てきて拍手を受け
その後演奏へ。
長い曲1曲の場合は日常では通して聴くことが難しい。
それだけの時間が取れなかったり、集中できる環境が
なかったり、だからこのような場合は実演に接する
ことも趣味的な活動としてはありなのだ。
神奈川フィルは90年代に定期会員になり良く通ったが、
当時はまだ県立音楽堂とか大きくて県民ホールとか、
ある意味あか抜けない地方オケで、都内の楽団の後塵を
配していた。
指揮者も芸大関係のOBが多く、それなら都内のオーケストラの
方が面白いだろうという事で、なかなか定着しなかった。
それが21世紀になっただんだんと内部も変わったのか、
楽団員も変わっていき、なんか面白いオーケストラに
なった様だ。演目もだんだん範囲が広がり、主席の川瀬さんは
若輩であるもののなかなかのやり手で、オケを育てている。
定期会員もそこそこいるようだ。
この様な大曲が演奏できる団体になったのだとある意味感慨深い。
沼尻さんと神奈川フィルは沼尻さんが桐朋卒なので、指揮者陣を
芸大で固めている時点で呼ばれない。当時もプログラムに名前が
ないのはいたしかたない。
97年に初めて神奈川フィルの指揮台に立った。その時のメンバーは
20年くらいで今回はずいぶん変わっているかもしれない。
コンサート・マスターでさえ違っている。
演奏については、マーラーの大曲であり、演奏する方も聴く方も
骨の折れる作業で、集中を切らせないでいかに聴き続けるかが
課題。面白楽しい曲ではないからだ。
交響曲9曲がジンクスという作曲家の命題がある。
あのベートーヴェンが9曲で生涯終わっており、それが後世の
作曲家に少なからず影響しジンクスとなった。マーラーや
ブルックナーもそれにもれずに9曲である意味終わっている。
その後はそれにとらわれる作曲家は少ないが。
第一楽章と第四楽章が30分近くかかる。ここが難儀なのだ。
2・3楽章は十数分以内でなんとかなりそうだが、
1楽章は色々楽想も変わるので厄介なのだ。面白いところを
探しながら聴き続ける。途中で寝落ちしてしまった。
何分か記憶がない。いびきかいて無ければいいけど(笑)。
わかりやすいところで言えばうまくなった。これだけの
大曲をこなせるようになった。
アンサンブルや、パートの全奏でも危なげがない。
特にホルンの音量が一定で大きく、トランペットなども
危なげない吹奏で、演奏以前で聴衆がはらはらすることがない。
これは大切なことで、プロなのだからと思うが、現場で事故は
付き物なのだ。90年代までは、オケにはこのような
ことがあった。
弦楽パートも後半に行くにしたがって、楽器が鳴り、シルキーな
トーンと緻密なアンサンブルを醸し出した。
木管も良く鳴っていて、自己主張が出来ていたと思う。
総じて楽団の演奏レベルは、90年代とは違っていた。
指揮者についていくだけで精いっぱいだったが、今は
その要求にどう答えるかまで、演奏者がついていってる
感じがする。共同作業が出来ている。
終演後、何度も呼び出され、奏者をねぎらったあと、最期に出て
来たときには、楽団員が立たずに拍手を送り、指揮者をねぎらった。
きっと大変な作業を共有したのだろう。リハーサルも3日くらい
あったのかもしれないが、それで仕上げて本番なのだからプロと
いえども大変なことに変わりない。指揮と奏者のいい関係が見て取れた。
1楽章は途中寝落ちがあったので、始まりはまったりしていたが、
だんだんエンジンが温まり、立ち上がってきた。2楽章のレントラーの
三種の舞曲。弾きわけられており、交通整理がうまくいっている感じが
した。
3楽章のブルレスケ(ふざけた・いたづらっぽい)。ここは一番聴かせどころ
なのか、最期の所の大団円できっぱりと見えを切り、集中切れずに演奏しきった。
凄い演奏だった。起承転結の転の部分の効果が終楽章にかかる。
マーラーは一筋縄ではいかない作家なので、ここまでよくてもここからは
おぞましい音型が並んで進行するというような毒も持っているので、
安心ばかりはしていられない。彼の中に物語があるようでそれもある意味
知っておかないと、深くは探れないのかもしれないが、残念私はそこまで
知りえていない。
終楽章は生と死が良く語られる。ブルックナーの9番は終楽章(3楽章だが)
は空に抜けていくイメージがあるのだが、マーラーの場合は個人的には
大地に横たわり静かにしているようなイメージがある。いい悪いではないが、
この点、かなり印象が違う。終楽章弦5部が活躍する。マーラーは今でいえば
今時のしゃれた和音をつかったりするので、古典派の様な響きとは違うので、
ちょっと映画音楽みたいな流れの所がある。私などは、映画音楽聴いている
ような錯覚に落ちいる時がある。ファンにいったら怒られるかもしれない。
そんな終楽章。静かに静かに終わっていく。
指揮者は終楽章で指揮棒を置いていて、手振りで振っていた。それだけ
ニュアンスが違うのだろう。
最後の一音が消えていきそれでも指揮者は体を解かない。音符にフェルマータでも
ついているのだろうか、会場は静かに見守っている。生と死なら息を引きとっていく
場面だろうか。妄想がぐるぐるし始める。それも流れていくと、指揮者は体を
音楽からとき体を客席に向き直り、拍手を受ける。会場はそれを接して拍手が
始まる。一呼吸してブラボーもかかる。今日の聴衆はなかなかいい聴衆だ。
マナーをわきまえない輩は、フライングで拍手してみたり、ブラボーをかけて
みたりする。迷惑な場合もある。
今日は、団員のソロなどあった場合は
立たせて聴衆にアピールする。ホルンの首席、トランペットの首席から
始まって、結局全員立たせたが、それだけの力量のあるコンサートだった。
以前、群馬交響楽団でもこの曲を演奏して、好評だったようだ。
それだけ勉強して形にしたのだろう。以前は、交通整理が上手い指揮者は
それだけと解釈されがちだったが、譜面を読みこんでそこからマーラー像を
立ち上げ、それを伝えるのは並大抵の事ではない。聴き手だってレベルが
いろいろあるので、どこでその琴線に触れるかわからないのだ。
そこが博打っぽくて面白いところだと思うが、時代も違ういま、マーラーを
聴く意味をちょっと演奏後思っていた。ホールのドアを開けると、潮の香が
鼻をついた。あぁ、横浜の文化の香りのするところにいるんだと改めて
意識した(笑)。