記憶の中のJAZZ喫茶
近場に以前JAZZ喫茶があった。それはいつしか閉店していった。
ジャズ喫茶ドーナツ現象になる前の事だった。
儲からない商売と言われてずいぶん経っていた。
店が出来ては閉店していった。
昭和61年版の日本列島ジャズ喫茶地図みたいな本があり、
かなりな店が載っていたものの、現在かなりなくなっていた。
新しい店もその後出来てはなくなりしているので、基本的に
儲からない商売なのでしょう。でも、今も、なぜそれを始める人が
いるのか・・・。そこは、「山があるから登るのだ」ではないのだが、
「ジャズがあるから店をする」みたいな動きはある。
昔と同じJAZZ喫茶は出来ないけれど、新しい動きのあるJAZZ喫茶は
今後も続けていく可能性はあるだろう。
以下の店はもう存在していない。私の記憶の中にはあったりするのだが・・・。
H市にPA-PERというジャズ喫茶?BARがあった。一度そこには行った記憶がある。
なぜかというとそこでモントルー1957「ディジー・ガレスピー」
を聴かせてもらって、愛聴盤の1枚に加わったからだ。いつしか閉店していて、
2度とそこでその盤をきくことはなかった。白熱球のともるカウンターで、
ママがドリンクを作っていた。そんなイメージがある。
その名前を思い出したのはJAZZ批評社の61年版のJAZZ店本だった。
もう一店は、インターネットサイトの個人ブログにその名前はあった。
E市にある「エバンス」という店だった。ここもJAZZBARだった
ような気もするが、気の効いたピアノトリオが鳴ってた記憶がある。
ここも1度しか訪れていない。酒飲めないせいもあるかも(笑)。
あと一店は市内の市役所の近くにあった。LIVE BARだったところが
一時期オーディオ喫茶というかJAZZかけてコーヒー出すみたいな店に
なったが、すぐに閉店になってしまった。ここでアルヘイグ(p)の
「インビテーション」を聴いた。評論の寺島氏が嫌ッていたこの盤、
シダー・ウォルトンの「ホリー・ランド」が聴きたくてリクエストしたのを
覚えている。私はこの盤は支持している(笑)。
あぁ、昭和は遠くなりにけり。平成も終わろうとしている昨今。
私は何をシテイルノダロウ(笑)。
近場に以前JAZZ喫茶があった。それはいつしか閉店していった。
ジャズ喫茶ドーナツ現象になる前の事だった。
儲からない商売と言われてずいぶん経っていた。
店が出来ては閉店していった。
昭和61年版の日本列島ジャズ喫茶地図みたいな本があり、
かなりな店が載っていたものの、現在かなりなくなっていた。
新しい店もその後出来てはなくなりしているので、基本的に
儲からない商売なのでしょう。でも、今も、なぜそれを始める人が
いるのか・・・。そこは、「山があるから登るのだ」ではないのだが、
「ジャズがあるから店をする」みたいな動きはある。
昔と同じJAZZ喫茶は出来ないけれど、新しい動きのあるJAZZ喫茶は
今後も続けていく可能性はあるだろう。
以下の店はもう存在していない。私の記憶の中にはあったりするのだが・・・。
H市にPA-PERというジャズ喫茶?BARがあった。一度そこには行った記憶がある。
なぜかというとそこでモントルー1957「ディジー・ガレスピー」
を聴かせてもらって、愛聴盤の1枚に加わったからだ。いつしか閉店していて、
2度とそこでその盤をきくことはなかった。白熱球のともるカウンターで、
ママがドリンクを作っていた。そんなイメージがある。
その名前を思い出したのはJAZZ批評社の61年版のJAZZ店本だった。
もう一店は、インターネットサイトの個人ブログにその名前はあった。
E市にある「エバンス」という店だった。ここもJAZZBARだった
ような気もするが、気の効いたピアノトリオが鳴ってた記憶がある。
ここも1度しか訪れていない。酒飲めないせいもあるかも(笑)。
あと一店は市内の市役所の近くにあった。LIVE BARだったところが
一時期オーディオ喫茶というかJAZZかけてコーヒー出すみたいな店に
なったが、すぐに閉店になってしまった。ここでアルヘイグ(p)の
「インビテーション」を聴いた。評論の寺島氏が嫌ッていたこの盤、
シダー・ウォルトンの「ホリー・ランド」が聴きたくてリクエストしたのを
覚えている。私はこの盤は支持している(笑)。
あぁ、昭和は遠くなりにけり。平成も終わろうとしている昨今。
私は何をシテイルノダロウ(笑)。