砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

2月18日

2023-02-17 23:11:37 | 奇跡講座テキスト or ワークブック
奇跡講座ワークブック編(671くらい)

【レッスン207】 レッスン187の復習

「私は私自身を祝福するがゆえ、この世界を祝福します。」(レッスン187)
の復習です。

悲しみも苦しみもなく、私にあるのは嫉妬。欲しいけど、何も手に入らない。
どころか、手段も持っていない。人一倍欲しいのに。そして、そこまで
欲しくないのに、いとも簡単にやってのける人が必ず身近にいる。
それは姉だったり。同じ地域ブロックの女の子だったり。
誰でも私にとっては目の上のたんこぶ。無関係のいとこや、他の地域なら
いい。

私だけならよかったが、娘。お友達ふたりで歩いていても、声をかけられる
のはもうひとりのお友達。いつも。誰も娘に用はない。小1だからまだ
いいものの、高学年になったら一体どうなってしまうのか。

そんな娘に、苦しみは感謝だよ!と言えるはずがない。

どんな友達でもいい、と思うのが若さ。そんなの友達じゃない。
単に利用されてるだけ、と大人は言いたい。
娘は否定して、それでもいい。と言うはず。そして結局傷付く。
あるべき姿だ。私は邪魔せずにいられるだろうか。

苦しみは感謝、と言いつつ、苦しむ経験を阻止しようとしてしまう。

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2月17日

2023-02-17 09:20:09 | 奇跡講座テキスト or ワークブック
奇跡講座ワークブック編(670くらい)

【レッスン207】 レッスン187の復習

「私は私自身を祝福するがゆえに、私はこの世界を祝福します」(レッスン187)の復習です。


昨日、「元気じゃない日は誰かが頑張っているから、安心して休めばいい。」
と書いたけど、そんなこと言ったら無理して頑張ってる人は怒りそうだ。
やっぱり言葉では伝わらない。身体とか精神の話じゃないんだ。

何もしてなくても、皆で協力し合ってるのが少しだけわかる。今は。
体調が良いのだと思う。何もしてなくても、皆で協力していることを
信じようとしている私がいる、ことを信じよう。映し鏡のようだ。
投影。ふむ。どこまでも証明してくれる。合点しかいかない。
以前、奇跡講座を読めば読むほど、「応えになってない」とか、
意味不明、と思ったのは、自我の思考だったからなのですね。

自我を信じていたから、自我の想定した答えにならず、いらついた。
人を見るたび、自我が投影され、また、それを信じる。映し鏡だ。
毎日が。

おそらく、その信じるものが、長期であれ短期であれ、
自分の意志とは裏腹にコロコロと変わることが、証明してる。
私達が繋がっていて、ひとつということを。

だから、自我まみれのときは、自我まみれで良くって
(当の本人は大変だが結局は喜ばしいこと)当人以外の人は、
その人に感謝と祝福するのが本来、という解釈。結局解釈にしか
ならなくって、また私が不調に陥ったら、感謝&祝福などとんでもなく、
不平不満で心が満たされるんだろうな、とは思う。
そのとき、この不平不満を感じつつも、今は私が当人か、と思って
喜べたらいいんだけど。
頭ではわかっていても心は付いていかない。
だいたいの人がそんな感じかなぁと想像するけど、出来ないと
思うときは、誰かがやってるから安心すればいい。

という意味でした(冒頭に戻る



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