奇跡講座ワークブック編(702日目くらい)
【レッスン225】神は私の父です。神は我が子を愛しています。
レッスン224と文言が同じ。ここまで来たら言葉はあまり
関係ないようなので、こういうこともあるのかな。
昨日は「宇宙元旦」なるものであったようで、どおりで心穏やか
でいれたのかと納得しているところです。奇跡講座が役に立って
るのかなぁなんて、またも思っておりましたが。まあ、役立ってる
とか役立ってないというものではないかもですが。どんなに心穏やか
になっても、誰かに会えばすべて我慢に変わり、それはすぐに怒り
となり結局全て破綻!ぶっ壊す、自ら。悔しい。結局はそういう
困り者、という立ち位置になる自分が悔しい。全ての人に対して
自分は何も要求されていない、ということを認められず
「それには応えられない」とひとりでパニックしているという構図。
何も要求されてなどいない。
これがどんなに素晴らしいことだろうか。しかし、そこには理由が
ある。要求できないという理由がある、残念ながら。だから怒りと
なってしまう。
神の声、というのは音声ではないと思うんだ。ということは感覚、
知覚、ということになる。そう感じられる。という解釈。
今までのレッスンで、「与えることと受け取ることは同じ」という
表現が苦手でよくわかろうとしなかったのですが、先ほど、ほんの
少しだけ受容できそうな、私がちらりと見え隠れしました。
そこに、“目から鱗” だとか、心がラクになった、とか、喜び、
安堵、そういうのは無く、「その優しさが普通さ」という、
感覚がありました。それは、声と言っていいのだろうか?
信じることが大切。
全て置き換わる。置き換えることが出来る。その選択肢を私は持ってるし
選べる自由がある。それが本来の、真理の私です。
※これは日記です。