いろいろなことを考えて納得したつもりでいるが、
文字にすると違うなぁと思う。全然違う。
ニュアンスが、とかでなく根っから間違ってるみたいな、
出発点がそもそも間違っているみたいな感覚。
普段、世界平和なんぞ無理だ、しかもそんなに
強く望んでないと思うけど、文字や言葉だと、世界は
絶対に平和であって欲しいと書くのがしっくりくる。
文字はやっぱり相手あってのもので、
それは最小単位の社会へ向けての発信なので
自分の考えを何のためらいもなく言ったり、
ストレートに文字にするのは違うのだなぁ
と思う。思いやりの第一歩なんだなぁ。どうしよう。
そんなことこれっぽっちも考えたことない。
本音を言い合えるのが人間関係だと思ってたし。
そりゃ誰にも相手にされなくなっていくわ。
社会でやってける成熟した大人な人は
自然にそういうのが身に付いているか、
しかるべきときにちゃんと試練がおとずれ、
そして努力して対処した人なんだろなと思う。
多感な思春期とか、反抗期とか、乗り越えられる
知能があり、支えられる力を持つ大人がいたんでしょうね。
本音と建前ってやつかぁ。
どっちみち、本音と建前があまり乖離してない方が
いいんだろな。乖離してることに本人が気付かないと
欝になって、意識的に頑張ってやると他人に
うすうすばれて結局ひとりになると。
私はどっちかな、
「だんまり」を選択してるなぁ。
失敗しないようにしてるつもりが、
結局、よくわからない人という印象を与えてるかもだな。
(自意識過剰ですね、何とも思ってませんよ。)
自信がないから、あまり他人と長くいると
緊張しちゃっていつかボロが出そうで
(=自分の話したいことだけ話す)
ぐったりしてしまう。
(自意識過剰ですよ、何とも思ってませんよ。)
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