花の名前・木の名前・名前の由来

草花や木についている名前の由来。誰が付けたか分からないけど、知って納得のもの、「?」のもの、いろいろあって、面白い。

ヒメイズイ(姫萎蓬)

2011年06月14日 | 3.11東北関東大震災

ユリ科アマドコロ属

ヒメイズイ(姫萎蓬)の名前の由来
「アマドコロ」に似ていて、小さいことから。「イズイ」は「アマドコロ」の別名。

「アマドコロ」のように食べることはできない。
よく繁殖し、いつの間にか地下茎をのばして、どんどん増えている。

                
2011.05.23仙台市                              2011.06.14仙台市

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東日本大地震から3週間の気仙沼市と鹿折地区第十八共徳丸

2011年04月04日 | 3.11東北関東大震災

東日本大地震から3週間の気仙沼市と鹿折地区第十八共徳丸


東日本大地震から三週間目の4月Ⅰ日。
ようやくガソリン満タンに。
大津波と大火に襲われた鹿折地区を目指した。
東北道を一の関で降り、284号気仙沼街道を回ることに。
45号線沿も町々も気になったが、道路も悪く、標識もなくなり、目標とする建物も消失し、道に慣れた地元の人でも、迷うってしまうという。
とにかく道路事情も良く、最短のコースは、一関ルート。
気仙沼が近くなってきたら、葬儀社の立て看が目立つ。
一社で何件もの葬儀を扱っている。
後で聞いたら、気仙沼市で近隣の葬儀社を紹介しているとのこと。
市内では、もう葬儀も出せない。

バイパスから気仙沼市内へ。
気仙沼駅周辺には、遠隔地から応援にきたガス事業者が。
古町から三日町あたりまでは、震災で大きく破壊された様子はない。
八日町に入ると、だんだん様子が変わってきた。
あちこちの建物が、壊れて、全壊の家もある。

そして衝撃が走ったのは、南町に入った所から。
戦争映画で見るような、破壊されつくした建物の連続。
宮城交通の営業所も見る影もない。
気仙沼警察署のあった所も、通り過ぎたが、どのようになっていたかは、記憶にない。
NTTは建っていた。更に魚市場に進む。
山影の道なので、津波は入り込まないだろうと思っていたが、この道にも山を超えたのか、回り込んだのか、建物は使用できないほど、壊されていた。

魚市場の建物はあったように思う。
海沿いに、魚町まで車を走らせた。
焼け焦げた船、破壊されつくしたお魚市場。
乗り上げた船。
建物が残っていても、漂流物が入ったり、中が流されて、とても使用に耐えるとは思えない建物の数々。
しっかりしたビルは残っていた。そのまま使えるのかどうかは分からない。
海面より、道路の方が低く、車を走らせるのも、怖い。

坂口から鹿折に抜けようとしたら、「通行止め」
望洋館の方を回ろうとしたが、「カモメ道り」が水没していて、こちらからは鹿折に抜けられない」と言われた。
魚町の大通りを引き返すことことにしたが、道路が瓦礫の山になっている。
「大田」を経由する道が、どの道か分からない。
瓦礫のため、道が細く、車が一台と通れるかどうかという細さ。
対向車が来たら、どうするのだろう。
結局、バイパスまで戻り、鹿折川のから東浜街道へ。

旧市内でも、息をのむような光景だったが、鹿折駅前の光景は、これから先も決して目にすることはないと思うほど凄絶な光景。
これが日本?
これが、3月11日まで、人が暮らしていた場所?

駅舎のほかは、セブンイレブンが、それとわかるだけ。
「第十八共徳丸」の大きい船体が、宇宙から来たように、瓦礫の中に建っていた。
今にも航海に出そうな形のまま。

押しつぶされ、焼かれた車、洗濯機、冷蔵庫、布団などなど。
何とは分からない瓦礫。
瓦礫。
瓦礫。
瓦礫。

車が通れるように、自衛隊の人たちが、道をつけてくれたので、辛うじて、この道が駅に通じると分かるが、河口への道は、駅前交差点から五十メートルも行くと、瓦礫で途切れる。
旧市街地に抜ける道は、駅前交差点から、五十メートルくらいまで、水が上がっている。
地盤沈下が激しいらしく、三週間たってもまだ、水。

涙が止まらない。

駅に建ったモニュメントの「カゴメ」が二羽、青空に飛んでいた。