昨日から開館した「松島水族館」を見た帰り、「塩釜神社」に回った。
「桜」といえば「ソメイヨシノ」ばかりになった公園が多い中、「いろんな桜」があって、楽しい。
「ソメイヨシノ」は、簡単に接ぎ木が出来るけど、寿命は100年くらいと聞いた。
元からある桜は、樹齢数100年というものもある中で、「ソメイヨシノ」だけが短いのはどうしてなのだろう。
ご近所の八重桜も咲きだした。
この花びらが、ちらほらと風に舞うのを見たら、春まきの種を蒔く。
松島展望台神社 神社 神社
神社・梅も見られた。
塩釜展望
庭も花盛り
ワスレナグサ、ユスラウメ、ヒメコブシ、アカミユスラウメ、クリスマスローズ、エイザンスミレ
勿忘草 ゆすら梅 姫辛夷 赤実ゆすら梅 クリスマスローズ 叡山菫
松島水族館の様子はこちらにあります。
「ウミヤドカリ」の飼育で、松島水族館にお世話になった時のブログ。
原発廃炉に向けて
スイセン
今日は24節季の「穀雨(こくう)」「芒種(ぼうしゅ)」と並び、農事にまつわる節季。
穀物の作付の準備が整った頃に降る。この雨で芽が出始める。
昨日から寒い。
年によっては入学式の時期に雪が降ることもあるが、下旬に降ったことはあっただろうか?
大雨の予報が出ていたが、夕方から雪に変わり、朝は車に少し雪が積もっていた。
今年は震災で、ようやく始業式と入学式が21.22日に開かれることに。
落ち着かない日々に、気候も不順。
次々に咲く黄色の花。
春先は黄色の花が多い気がする。
次の節季は「立夏」
東日本大地震から3週間の気仙沼市と鹿折地区第十八共徳丸
東日本大地震から三週間目の4月Ⅰ日。
ようやくガソリン満タンに。
大津波と大火に襲われた鹿折地区を目指した。
東北道を一の関で降り、284号気仙沼街道を回ることに。
45号線沿も町々も気になったが、道路も悪く、標識もなくなり、目標とする建物も消失し、道に慣れた地元の人でも、迷うってしまうという。
とにかく道路事情も良く、最短のコースは、一関ルート。
気仙沼が近くなってきたら、葬儀社の立て看が目立つ。
一社で何件もの葬儀を扱っている。
後で聞いたら、気仙沼市で近隣の葬儀社を紹介しているとのこと。
市内では、もう葬儀も出せない。
バイパスから気仙沼市内へ。
気仙沼駅周辺には、遠隔地から応援にきたガス事業者が。
古町から三日町あたりまでは、震災で大きく破壊された様子はない。
八日町に入ると、だんだん様子が変わってきた。
あちこちの建物が、壊れて、全壊の家もある。
そして衝撃が走ったのは、南町に入った所から。
戦争映画で見るような、破壊されつくした建物の連続。
宮城交通の営業所も見る影もない。
気仙沼警察署のあった所も、通り過ぎたが、どのようになっていたかは、記憶にない。
NTTは建っていた。更に魚市場に進む。
山影の道なので、津波は入り込まないだろうと思っていたが、この道にも山を超えたのか、回り込んだのか、建物は使用できないほど、壊されていた。
魚市場の建物はあったように思う。
海沿いに、魚町まで車を走らせた。
焼け焦げた船、破壊されつくしたお魚市場。
乗り上げた船。
建物が残っていても、漂流物が入ったり、中が流されて、とても使用に耐えるとは思えない建物の数々。
しっかりしたビルは残っていた。そのまま使えるのかどうかは分からない。
海面より、道路の方が低く、車を走らせるのも、怖い。
坂口から鹿折に抜けようとしたら、「通行止め」
望洋館の方を回ろうとしたが、「カモメ道り」が水没していて、こちらからは鹿折に抜けられない」と言われた。
魚町の大通りを引き返すことことにしたが、道路が瓦礫の山になっている。
「大田」を経由する道が、どの道か分からない。
瓦礫のため、道が細く、車が一台と通れるかどうかという細さ。
対向車が来たら、どうするのだろう。
結局、バイパスまで戻り、鹿折川のから東浜街道へ。
旧市内でも、息をのむような光景だったが、鹿折駅前の光景は、これから先も決して目にすることはないと思うほど凄絶な光景。
これが日本?
これが、3月11日まで、人が暮らしていた場所?
駅舎のほかは、セブンイレブンが、それとわかるだけ。
「第十八共徳丸」の大きい船体が、宇宙から来たように、瓦礫の中に建っていた。
今にも航海に出そうな形のまま。
押しつぶされ、焼かれた車、洗濯機、冷蔵庫、布団などなど。
何とは分からない瓦礫。
瓦礫。
瓦礫。
瓦礫。
車が通れるように、自衛隊の人たちが、道をつけてくれたので、辛うじて、この道が駅に通じると分かるが、河口への道は、駅前交差点から五十メートルも行くと、瓦礫で途切れる。
旧市街地に抜ける道は、駅前交差点から、五十メートルくらいまで、水が上がっている。
地盤沈下が激しいらしく、三週間たってもまだ、水。
涙が止まらない。
駅に建ったモニュメントの「カゴメ」が二羽、青空に飛んでいた。