夜行列車 桃太郎

願わくば、あなたに夜行列車の楽しい思い出だけが残りますように!

2015.4.9撮影記(富山駅)&鉄活自分事件史2回目

2015-04-12 20:50:08 | 鉄道

誠にすみませんが・・・今回は夜行列車は無し です。

先週は富山など行っておりました。当たり前ですが出張です。

富山へ来たのは3年振りで、日本海号のラストラン以来です。

私の業界、富山へ来る事は実に多いのですが、少々業界の再編が

あったようで設備投資もパッタリ。が、いよいよ増産傾向に

なってきて私にも招集令状が回ってきました。それどころか立て続け

に5~6枚来て、4月以降覚悟はしてましたがこんなに話しが来てた

とは愕然です。「こりゃぁ鉄どころではないナァ・・・・」

3月まで存分に遊ばしてもらったのだからこれからは労働メインです。

とはいえ、行く先々で鉄活できたらやります。

第3セクター富山駅。まずは6番線へ行きます。

↑あのなぁ~ 書き損じのラブレターともう来ない列車の案内表示なんか

始末しとくもんだわ! 見るだけでむなしくなります。

↓ひだ は健在でした。国鉄型は真っ青。521はブリンカー付き。

 

↑金沢までだった521が泊までなんですね。

直江津~富山~金沢は国鉄型しか走ってなかったのに、流石3セク。

乗り心地良さそうです。

富山駅・・・もう北陸本線ではなく、特急・急行などはなくて新幹線と

私鉄の交差する駅 でした。

富山駅を着発した列車を思い返してみますと・・・

特急

つるぎ  白山  北陸  北越  雷鳥  しらさぎ  はくたか

日本海  白鳥  ひだ  加越

急行

のりくら  越前  能登  立山  越後  きたぐに

しらゆき(糸魚川で松本からの白馬号併結)  こがね

 

そうそうたる列車が走ってたんですね。急行きらめき号は金沢発着

だったと思いますが、一体「かがやき」って・・・どこから?

一部の列車名が残ったのが良かったです。

↓富山地方鉄道も見てきました。

映画のロケ、地鉄でやったのですね。知らなかった・・・

おぉ、京阪電車!

「ちちぶ」号は稲荷町の車庫で寝てました。

お世辞にも地鉄電車の乗り心地は良いとは言えませんが、比較対象が

東武野田線(アーバンパークライン)60000系では話しになりません。

たまに8000系に乗りますが、そちらだと甲乙つけ難い。

今年の秋は地鉄に乗って通勤です。

あ、新幹線?富山駅はキレイでした。大宮まで1時間46分。速くて

いいんじゃないでしょうか。

5位 蟹田事件

夜の蟹田駅に初めて降り立ったのは2013年の3月8日でした。 

その前の週に行くはずが全列車ウヤ。1週間後の仕切り直しです。 

周辺情報は鉄的になかなか得る事ができない土地です。 

何故人気(にんき)も人気(ひとけ)も無いのか行ってみなけりゃ 

わからないところですね。 

駅の雰囲気としてJR東日本管轄であるという事は東北線や上越線と

同じ感覚なのであろうと勝手に決め込みます。

はやてで新青森 21:30 → レンタカー22:00 → 22:30 蟹田駅 

当時の201レ はまなすは23:07~09でしたから急いでホームに出ようと

焦るも、券売機の電源はOFF。駅舎には誰もいないし、扉は開けっ放し。 

伊達紋別駅(夜間は改札開放)みたいな感じなんだろうとまた勝手に

決め込んでホームに出ます。

あ~201レ間に合った~良かった~などと能天気に準備してても

一向に人の気配が無い。ん~こういう土地柄なんだろうって思って 

駅端で淡々と撮影メニューを進めてました。

当時は2~3番線の青森方照明が無くて、跨線橋の下は真っ暗だったです。 

全列車ホームからの撮影予定。 

駅の前の無料休憩所は設備が整っておりトイレもGood。 

暖を取る所はありませんが、携帯カイロ責めにしておけば5時間ぐらい

はもたせられると見込んでました。

環境のメドは既に立ってたので2レ23:38を見送ったら一旦駅外に出て

休憩。ハラ減ったな・・・ 

季節の変わり目ですから既に吹雪いてます。この日の蟹田は風速10m/s

超え。ちなみにこの1週間前は蟹田で風速15m/s超え。ウヤは大正解。 

瞬間風速ですから吹きっ放しって訳ではありませんけど、それでも

常時4~5m/sは吹いてて冷風ってのは意外と効くから侮れません。

視界は100mってところです。 

定時に2レが行って暗闇の中、頭にカンテラともして一時撤収の

片付けをしていたところ、対岸1番線より駅長らしき人が 

「お~い、そろそろ上がれや~!」って私に向かって声がけ。

急いでた私は「は~い!すぐ行きま~す♪」と挙手して応答します。

このやり取りに何か違和感を覚えたものの、深くは考えず改札に向かい

ました。すると駅長らしき人と駅員さんが二人、私を待っていました。

改札着くといきなり

駅長らしき人「な、なんだアンタ!」といきなり怒号&鬼形相

私「上がれと言われたからもう出ます」 

駅長らしき人「そうじゃねぇべ、アンタ一体どっからへえってきたんだ?」 

私「誰もいなかったので改札から入りましたが・・・」 

駅長らしき人「あん~?オレはてっきり雪かきしている××だと思ってたのに、

紛らわしい事しくさって!いってぇ何やっとったぁ~?」 

駅長らしき人の隣に××さんと思われる人がいらっしゃいました。 

私「写真撮ってました」 

駅長らしき人「あんたなぁ~ 冗談じゃねえべよ・・・★$Д※▽&@・・・」 

延々数分くらい訓示を拝聴します。このトシで立たされて説教を聴くとは

一体いつ以来だろう~って脳裏をよぎってましたが、隣で××さんが

気の毒そうに私を見てる。 

(んん? ××さんに上がれやって言って、すぐさま××さんが登場したから

あれは誰だ?って事になって待ってたんだな・・・) 

駅長らしき人「へば、すぐ出てってけれ」 

私  平に謝罪して140円払って追い払われて、ピシャって扉締めて

鍵かけてカーテンまでシャ~って閉ざされて、中でブツブツ

「~たく、ばくせなぁ・・・」 とか津軽弁で言われてるし・・・ 

心の中、虚脱感で満たされてなんとも言えなかったです。 

駅業務終了後は駅舎閉めるのね・・・なら関東となんら変わらねえべ! 

もう二度と来ねぇ!  で、我に返ると・・・ 

さぁ大変だ。想定外の出来事で次に来るのは駅外からの撮影しかできない。 

積雪が深く、元の地形がわからないのにやみくもに歩き回るのは自殺行為。

照明の当たるところがどこなのか探し回りました。駅の西側に小高い丘の 

ような起伏がある事がわかって雪中行軍、わずか30mくらいなのにズボズボ 

もぐりまくって踏み固めて進撃してなんとか出た所が運転士交代のための 

キャットウォークステージ。 

その小高い丘にゲバを据えます。据えたんですが、簡単にレンタカーまで

戻れる状態にはない場所。しかも吹きっさらしです。体感気温マイナス10℃、

心のダメージも手伝って更に寒い。

結局その丘の上の吹きっさらしで2.5時間の待機でした。 

足先に入れた携帯カイロって酸欠で発熱しなくなるし・・・体幹から遠い

パーツがだんだん機能しなくなってくるのがよくわかります。

心の中にも寒風が吹き荒れる。

終了後唇紫色になってて我ながら笑ってしまいました。 

この蟹田事件の時の駅長らしき人、名札見て「T」さんと覚えておりましたが、

2年後の再訪時、窓口駅員さんにそれとなく伺うや既に退職されておりました。

別に当時を振り返ってお詫びでもしようと言うわけではなく、今一度お会い

できるならしておきたかっただけです。 

普段は優しい人なんだろうな。 

2年後ってのは先々月、今年の2/7の夜です。 

結局蟹田には3度も通ってしまいました。二度と行かないと思ったのにね。 

蟹田が撮影に向かないのはよくわかりましたが、わかったからこそ撮って

おきたい自分プロジェクトを計画して、そこそこ達成できましたから未練は

ありません。 

私が蟹田にこだわった理由はこんなところでした。愚行とか無謀とかの類で

あり、結果的に駅にご迷惑をおかけしたのは恥じ入るところ大です。

しかし蟹田は良くも悪くも国鉄チックなところでした。青函トンネルができる

までは静かな佇まいであったのでしょうね。何でも当初、三厩から津軽中里

まで国鉄が通すはずだったそうな・・・悪名高き鉄建公団もここまでは

来れなかったか・・・

もしこの先訪ねる機会を得られたら・・竜飛崎まで行ってみたいです。

無理だろうなぁ~ 

蟹田まで行っておいてサッサと戻って来るなんてアホか!って今は

思いますよ

次回の回顧録は 上越線大沢駅 での出来事です。

それでは~