どこかの国の話にこのようなものがありました。
父と息子が、ロバを連れて旅をしていました。
それを見ていた人が言いました。「せっかくだから、ロバに乗ればいいのに」
と言うわけで、子供をロバに乗せて、お父さんはロバを引いて歩きました。
すると、これを見ていた別の人が、「お父さんは年をとっていて、息子は若いのだから、お父さんがロバに乗るべきだ。」と言いました。
というわけで、お父さんがロバに乗って子供がロバを引いて歩きました。
するとまた別の人が、「子供は幼くてまだ体ができていないのだから、息子がロバに乗るべきだ」と言いました。
と言うわけで、息子だけがロバに乗るとはじめと同じになってしまうので、父子ともにロバに乗りました。
するとまた別の人が、「ロバに2人も乗ったらロバが可愛そうだ。」と言いました。
というわけで、それならロバを棒にくくりつけて、父子でロバを担いで歩きました。
この話から何を感じられるでしょうか。日本では子供をロバに乗せて、西洋では子供を歩かせるのが一般的な考え方なのかもしれません。実際のところ、どちらが正しいとかということはなくその場所その時の価値観によって変わるものなのです。しかし、ここではそのようなことを言っているのではなく、自分の方針や考え方がなく、世間というものにふらふらと左右されている人々を皮肉っているのです。世間がゆとり教育だと言えば、ゆとり教育が正しいと思い、世間が詰め込み教育だと言えば、詰め込み教育が正しいと思う。世間に流されない生き方、それが宗教的な生き方なのです。
父と息子が、ロバを連れて旅をしていました。
それを見ていた人が言いました。「せっかくだから、ロバに乗ればいいのに」
と言うわけで、子供をロバに乗せて、お父さんはロバを引いて歩きました。
すると、これを見ていた別の人が、「お父さんは年をとっていて、息子は若いのだから、お父さんがロバに乗るべきだ。」と言いました。
というわけで、お父さんがロバに乗って子供がロバを引いて歩きました。
するとまた別の人が、「子供は幼くてまだ体ができていないのだから、息子がロバに乗るべきだ」と言いました。
と言うわけで、息子だけがロバに乗るとはじめと同じになってしまうので、父子ともにロバに乗りました。
するとまた別の人が、「ロバに2人も乗ったらロバが可愛そうだ。」と言いました。
というわけで、それならロバを棒にくくりつけて、父子でロバを担いで歩きました。
この話から何を感じられるでしょうか。日本では子供をロバに乗せて、西洋では子供を歩かせるのが一般的な考え方なのかもしれません。実際のところ、どちらが正しいとかということはなくその場所その時の価値観によって変わるものなのです。しかし、ここではそのようなことを言っているのではなく、自分の方針や考え方がなく、世間というものにふらふらと左右されている人々を皮肉っているのです。世間がゆとり教育だと言えば、ゆとり教育が正しいと思い、世間が詰め込み教育だと言えば、詰め込み教育が正しいと思う。世間に流されない生き方、それが宗教的な生き方なのです。