太宰治の『人間失格』の第三の手紙の最後の部分です。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
「ただ、一さいは過ぎていきます」が真理らしく思われたというのです。
これは仏教思想というよりは、日本人の持ち続けてきた感性です。
全てのものは移り変わっていくのですが、その中に永遠不変なものを求めていく。
始まりがあれば必ず終わりがある。
出会いがあれば必ず別れがある。
生があれば必ず死がある。
全てのものは過ぎ去っていきます。しかし、その中に永遠不変なものを求めていくのが、華道、茶道、俳諧などの日本文化なのです。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
「ただ、一さいは過ぎていきます」が真理らしく思われたというのです。
これは仏教思想というよりは、日本人の持ち続けてきた感性です。
全てのものは移り変わっていくのですが、その中に永遠不変なものを求めていく。
始まりがあれば必ず終わりがある。
出会いがあれば必ず別れがある。
生があれば必ず死がある。
全てのものは過ぎ去っていきます。しかし、その中に永遠不変なものを求めていくのが、華道、茶道、俳諧などの日本文化なのです。