私は物事を二つの対立的に考えるのはあまり好みませんが、仏教はどちらかというと、現実を肯定的に考える「ありのまま派」で、キリスト教は現実を改善しようとする「自己啓発派」です。
仏教の中でも、念仏は「ありのまま派」で、禅には「自己啓発派」の側面もあります。禅の祖である達磨大師から六代目の後継者である慧能は「ありのまま派」でしたが、そのライバルであった神秀はどちらかというと「自己啓発派」でした。京都の臨済禅はどちらかというと「ありのまま派」ですが、鎌倉の臨済禅は「自己啓発派」の方もいらっしゃいます。
修行とか自己啓発に重きを置いて、易行やありのままでいいという考え方を軽蔑する人はいますが、私は難行苦行ばかりが人を育てるとは考えません。念仏のよさは、誰でもできるところだし、霊気のような手法も誰にでもできるところがいいところだと思います。同じように、ありのままの自分を大切にしていきることも仏教思想の魅力だと思います。もちろん、自己啓発をしている人はそれで素晴らしいと思います。ただ、私は自己啓発や修行には力点を置いていないというだけなのです。
仏教の中でも、念仏は「ありのまま派」で、禅には「自己啓発派」の側面もあります。禅の祖である達磨大師から六代目の後継者である慧能は「ありのまま派」でしたが、そのライバルであった神秀はどちらかというと「自己啓発派」でした。京都の臨済禅はどちらかというと「ありのまま派」ですが、鎌倉の臨済禅は「自己啓発派」の方もいらっしゃいます。
修行とか自己啓発に重きを置いて、易行やありのままでいいという考え方を軽蔑する人はいますが、私は難行苦行ばかりが人を育てるとは考えません。念仏のよさは、誰でもできるところだし、霊気のような手法も誰にでもできるところがいいところだと思います。同じように、ありのままの自分を大切にしていきることも仏教思想の魅力だと思います。もちろん、自己啓発をしている人はそれで素晴らしいと思います。ただ、私は自己啓発や修行には力点を置いていないというだけなのです。