行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

鈴木大拙

2010年07月13日 | 禅の心
京都市左京区

哲学の道は、哲学者の西田幾多郎がよく歩いて、思索にふけった道なので、そう呼ばれるようになりました。
その西田幾多郎と同郷(石川県)で仲のよかった哲学者に鈴木大拙がいます。昨日、7月12日は鈴木大拙の命日でした。
 鈴木大拙は禅に関する著述を英語で著し、世界中に禅を紹介した人として知られています。また、浄土真宗の研究にも造詣が深く、島根県大田市温泉津町の浅原才市を高く評価しています。
 鈴木大拙は大谷大学教授時代に長い間にわたって京都に住んでいました。鈴木大拙も若くして亡くなった西田幾多郎を偲んで、哲学の道を歩いたことでしょう。
 鈴木大拙は反戦論者でした。戦時中、まわりは愛国心、アメリカに勝つことに湧いていた中、勇気あることに、反戦を唱えていました。彼は、人間の持つ霊性を自覚することが大切であると唱えましたが、人間の霊性によらなければ、戦争という「魔王の宣言」を克服することはできないと考えました。戦時中の「精神主義」は「魔王の宣言」に荷担していくもので、日本的精神というならば、「日本的霊性」でなければならないとまで言われました。
 私自身、この鈴木大拙博士の「日本的霊性」という思想に大きな共感を覚えています。また、戦争中に一貫して戦争反対を主張し続けた勇気に喝采を送ります。
コメント (2)
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むなしさを越える

2010年07月09日 | 禅の心
仏教や日本文化には消極的であったり、虚無主義的であるというイメージがあります。特に般若心経の「空」という文字や、諸行無常という言葉には、「むなしさ」というニュアンスが多く感じられるのは否めません。
 般若心経では「色即是空」と言います。 美しいお嬢さんが若くして亡くなって、火葬炉から出てきた真っ白な骨灰を見て、みな虚無感に浸ります。生と死は一つのものの裏表なのだと実感する瞬間です。ただ、虚しいと言っているだけでは虚無主義・ニヒリズムに陥ってしまいます。般若心経では、「色即是空 空即是色」と続きます。むなしさを元に戻す作業が必要だというのです。真っ白な骨になってしまう存在だからこそ、短い命でも、生きていることは素晴らしいのだと。実はこのことは、ただ単に人生を肯定するよりも強い肯定になるのです。
人生は素晴らしい。
人生は素晴らしくはないことはない。
般若心経の考え方は、二重否定なのです。
子供の無邪気な明るさと、辛酸なめ尽くして、一度は自殺を考えていたような人が苦難を乗り越えて明るいのとでは、全く性質が違います。
人生、様々な苦難を経験してこそ明るい心をつかめるのかもしれません。



岡山県久米南町


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自殺を考える人

2010年07月06日 | 禅の心
一休宗純禅師は、風狂の人でした。一休禅師の人生には、
自殺
動物愛護

という大きなテーマがあったと思います。
 一休禅師が21歳の時に、謙翁という師匠が亡くなりました。一休は悲しみに明け暮れ、瀬田の唐橋で身投げをしようとしました。一休さんのような洒脱で陽気なイメージのある人には似つかわしくない行為です。
 多くの人は、人生のうち一度くらいは本気に自殺を考えるものです。「生きていれば良いことあるさ」などという友人の言葉など雑音にしかなりません。ただ、本当に自殺してしまってはいけません。それは、ぎりぎりのところで思いとどまらせるものがあるからです。家族であったり、大切な人であったり。
 若いときに死を考えるほど苦しんだ人は、大きなものをつかむことがあります。本当に死んではなりませんが、苦しみ悩んだことは肥料となり、大きな実を結ぶことがあるのです。



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仏様からの預かりもの

2010年07月02日 | 禅の心
仏の教えは、しばしば、資本主義経済と対立するものとしてとらえられることがあります。どちらかと言えば対立や競争をあまり好ましくないものとしたり、足ることを知ることを善しとしたり、お金や財産を、自分のものではないと考えたりすることがあるからです。お金や財産を自分のものではないと考えているからと言って、共産主義ともまた違います。共産主義では財産は、みんなのもの、社会のものと考えますが、仏教では、財産は仏様のものと考えている点が違っています。財産だけではなく自分自身の体さえも仏様からの預かりものなのです。仏様からの預かりものなのですから、いつかはお返ししなければなりません。そして、自分で自分自身を勝手に傷つけたり、命を断ってはいけません。お金も仏様からの預かりものなので、有効に使っていかなければなりません。
人間は死ねば、何一つとしてあの世に持っていけない事実を厳粛に受け止めると、人生の意義がわかってくるような気がします。

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