行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

烏鷺滝が禅を語る

2011年04月12日 | 禅の心
○禅は保守主義的なものではない。

○禅は自己を究めることである。

○禅は他への批判をやめてみることである。

○禅は穏やかに生きることである。

○禅は謙虚に生きることである。

○禅は平和を愛することである。

○禅は命を尊重することである。

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山本玄峰老師が人生を語る

2011年04月08日 | 禅の心
「人間の心は意馬心猿といって、ちょっと油断をすると、心が馬や猿のように飛んで廻るから、何時も自分で自分の心を引き締めておらねばならぬ」。
 「一番業の深い、最悪の生物は人間じゃ」。
 「木は気を養うものだ」。
 「人とたばこの良し悪しは、煙になりて 後にこそ知れ」。
 「臨済の一喝、ある時は人を殺し、ある時は人を活かす」。
 「僧堂にはいろいろな人がくるが、まともな人間は余人に任せる。わしは世間から、あばれもの、やくざもののように見られている連中を世話する」。
 「法に親切、人に親接、ご自身に辛切」
 「隠徳を積め」。「人間は若いときに陰徳を積んでおかないと、歳を取ってから苦労するから、常に陰徳を積むことを考えよ」。
 「学問はいくらでもせい。しかし学問を鼻にかけちゃいかんせ、坊主で何より肝腎なのは、道心じゃ。これに学問があれば鬼に金棒さ」。
 「わしの部屋は乗り合い舟じゃ。村の婆さんも来れば、乞食も来る。大臣も来れば、共産党までやって来る。皆同じ乗合舟のお客様じゃ」。
 「棚からボタ餅の堕ちてくるのを待つように、天命は俟つものではない。天命には従うものだ」。
 
 「いや、あんたは座禅組まんでもええわ。あんたは、ええ新聞つくりなはれ。それが、あんたの座禅やで」
 「足の裏と肛門をきれいにしておくのが、健康の秘訣じゃ」。



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山田無文老師が人生を語る

2011年04月05日 | 禅の心
梅雨も終わるころであった。庭のすみに南天が白い蕾をもっていた。わたくしは久しぶりに寝床から離れ、縁側へ出て庭をながめていた。気持ちのいい涼しい風が、病弱のわたくしをいたわるように、そよそよとわたくしの頬をなでてくれた。そんな風に吹かれたのは幾年ぶりであろうかと思った。そしてふと、「風とは何だったかな」と考えた。風は空気がうごいているのだ、と思ったとき、わたくしは鉄の棒で、ゴツンと背中をどやされたような衝撃をうけた。「そうだ、空気というものがあったなあ」と気がついたのである。
 生まれてから二十年もの長い間、この空気に育てられながら、この空気に養われながら、空気のあることに気がつかなかったのである。わたくしのほうは空気とも思わないのに、空気のほうは寝てもさめても休みなく、わたくしを抱きしめておってくれたのである。と気がついたとき、わたくしは泣けて泣けてしかたがなかった。
 「おれは一人じゃないぞ。孤独じゃないぞ。おれの後ろには、生きよ生きよとおれを育ててくれる大きな力があるんだ。おれはなおるぞ」と思った。人間は生きるのじゃなくて、生かされるのだということを、しみじみ味わわされたのである。わたくしの心は明るく開けた。そしてつたない歌をくちずさんだことである。

  大いなるものにいだかれあることを

             けさふく風のすずしさにしる



山田無文(1900-1988)

愛知県豊田市出身

花園大学学長・臨済宗妙心寺派管長歴任


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柴山全慶老師が人生を語る

2011年04月01日 | 禅の心
○長唄越後獅子の冒頭に、打つや太鼓の音も澄み渡り、とあります。
あの角兵衛獅子の打つデデーンという太鼓の音を、天地いっぱいのデデーンと聞くことができたら、もうそれでいいのであります。

○私の師が、私に「寒松」という室号を下さったのも、私が好んでそれを用いておりますのも、実は「霜雪の苦に堪えて色を添ゆる」松にあやかって、常に私の欠点である、生きる態度への「きびしさ」を忘れないようにとのひそかな願いなのであります。

○吾々が形の上でどうでありませうとも「きびしさ」を取り落とした人生ほどみじめなものはないからであります。私は常に自分の欠点を痛いほど感じているのであります。

○語心はなあ、心を語るのや、悟るだけではないのや。

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