ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評など】井上理津子「葬送の仕事師たち」/難波先生より

2015-08-04 19:03:39 | 難波紘二先生
【書評など】
 1.エフロブ「買いたい新書」の書評No. 280に、井上理津子「葬送の仕事師たち」(新潮社, 2015)を取り上げました。
 「少子高齢化社会」は必然的に多死社会に向かう。「終活」には関心が高くなったが,遺体に関わる仕事師たちについての認識は乏しい。著者は『さいごの色街 飛田』(筑摩書房, 2011)で知られるノンフィクション作家で,綿密な取材と対象への共感で定評がある。
 現代の葬礼には湯灌,納棺,遺体復元や防腐処理(エンバーミング),親族または知人によるお別れ式(葬儀)がともなう。本書で力が入っているのが第4章「エンバーマーたち」で,彼らの実際の仕事ぶりと遺体に対する思いが述べられている。この仕事が日本で最初に紹介されたのは,朝鮮戦争で死んだ米兵の遺体処置を小説化した松本清張「黒地の絵」だ。当時,東大理学部学生で,教授に言われて小倉基地で遺体処置のアルバイトをした人類学者埴原和郎によると,遺体から臓器を摘出していない(「骨を読む」, 中公新書)。「摘出後に防腐液を血管内に注入する」と書いたのは清張の空想だとわかる。同様な間違いは大江健三郎「死者の奢り」にもある。
 日本の本格的エンバーミングは1974年に川崎医大が,感染症で亡くなった遺体を安全に解剖実習に利用できるようにアメリカの技術導入したのが始まりで,88年頃に民間葬儀会社にも導入された。国内では神奈川県平塚市に唯一の専門学校がある。専門資格を持つ人は現在157人で現役が約100人という。95年の阪神大震災,2011年の東日本大震災の度に,美的・衛生的な見地から「遺体防腐技術」の需要が高まり,どのエンバーマーも多忙だという。日本でのエンバーミング普及率は阪神大震災後後の1998年に1%に達した。全国での普及率はまだ2%だという。米国での普及率が9割に達するのと大きく違う。…後はこちらで、
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1436319907

 2.献本のお礼:
 1)渡邊昌(元国立栄養・健康研究所理事長)『<食>で医療費は10兆円減らせる』(日本政策研究センター, 2015/7, 800円)の献本があった。お礼申しあげます
 「10兆円とは大げさなタイトルだな…」と思ったが、対話形式の雑誌連載をもとに、加筆修正したもので、非常にわかりやすく興味深く一気に読み、内容に得心が行った。
 これは「医療におけるパラダイムチェンジ」を訴えたもので、その主体は市民個人の考え方の転換が必要だというものだ。渡邊には53歳の時に、空腹時血糖260mg, HbA1c 12.8%という「即入院」が必要となる段階で発見された糖尿病を、入院もインスリン注射も服薬もしないで、「食事と運動」を中心にした「食と生活」の変換により克服した自己経験が、原点にある。
 タイトルの「10兆円減らせる」だが、2014年度の国民医療費は39兆2000億円で、これに「医療費」として計上されていない介護費と生活保護費(「福祉費」として計上されているが、大半を医療費が占める)という「隠れ医療費」を含めると、実際の医療費は50兆円前後になるだろうという。
 今までと同じ医療が続くと、10年後の2025年に、国民医療費は20兆円増えて60兆円になり、社会保障制度の崩壊は避けられない。
 検査数値の異状だけで、自覚症状がない「未病」の段階で、食と生活の習慣を改めれば、生活習慣病(糖尿病、高血圧・動脈硬化症、がんetc)は「未病」から「健康」に戻すことができる。そうすれば年間10兆円の削減は(主として市民個人の主体的取り組みにより)可能である。
 また「病気」になっても、従来の西洋医学の治療法の他に、「補完代替医療」や近藤誠の「がんを治療しない(自然治癒力にまかせる)」という選択肢も認めれば、医療費削減だけでなく患者のQOLはかえって増すとしている。
 『栄養学原論』(南江堂, 2009)、『新・統合医療学』(統合医療学院, 2014)、『科学の先:現代生気論』(キラジェンヌ社, 2015)と驚嘆すべき執筆力で、ただただ敬服するのみだ。

 2)「広島ペンクラブ」の同人、山本真珠さんから同人誌「真樹」の8月号「戦後70年、広島平和希求号」のご恵送を受けた。これは短歌雑誌だ。お礼申し上げます。
 戦争・原爆を詠んだ実に多くの作品が掲載されていて、山本さんら編集者の苦労を察する。
 その中で印象に残った2作は、
 「放映に地球誕生の事実知る 小さき己が身ちりのまた塵」(淀金日留子)
 「地図に見れば日本列島の明媚なる 海辺を選りて原発は建つ」(味岡紀子)。
 私はどちらかというと子規流の「客観描写」を通じて、第三者に作者の感情を伝えるような作品がすきである。
 「太き骨は先生ならむそのそばに 小さき頭の骨あつまれる」(正田篠枝)

 今年、古書で買った小倉豊文『絶後の記録』(中央社, 1948/11)の2刷(1949/1)の表紙見返しに著者献辞があり、そこに自筆の短歌が書かれていた。
 「たわれをと人やわらはん なきつまに手紙かきて生きて来しわれを」
 私は初め「を」を「おとこ」の書き誤りと思っていたが、文学に詳しい友人のK君に「を」だけで「男」を意味すると指摘された。「古語辞典」をみると、確かにそういう用例がある。
 この歌は彼の後の著作にも出てくるが、自意識がむき出しになっていて、好きではない。
 俳句も短歌も、用語の使用された時代範囲を無視してつくるところがあるから、私には難解に思われる。

 「これがまあ ついの別れか セミしぐれ」
 芭蕉か一茶かの辞世のパロディだが、むかし私をいじめた年配の教室助手がストレスから急に心臓細動を来して、目の前で倒れて急死した。葬儀後に焼き場まで棺の後を追って行列し、焼けるのを待っている間に浮かんだものだ。夏の盛りのことで、アブラゼミの声が猛烈にうるさかった。
 「もういじめられることはない」という思いと「やり返すこともできなくなった」という思いとが、交叉して生まれたものだ。後で病理解剖所見を聞いたら、副腎皮質が紙のように薄くなっていたという。副腎皮質は耐ストレスホルモン「コルチゾン」を分泌するところだ。彼も命がけで後輩をしかっていたのだった。
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