【神経多様性】:この言葉は元理研CDBの副所長西川伸一さんのブログで学んだ。STAP細胞事件の小保方晴子の人格について述べたものだ。
脳科学者エーデルマンの「脳内神経回路の進化」、言語学者チョムスキーの「不変文法論(生成文法論)」、神経科医で作家のオリバー・サックスの自験例と著作「道程」によれば、脳内のニューロンは小さなまとまりの回路をつくっていて、これらの回路群が適宜に協調して精神活動が生まれているという。ここは無意識の過程で、それを「意識する」意識は0.5秒遅れて発生する。
夢はレム睡眠の時に見るが、この時脳は部分的に目覚めている。しかし自意識を伴う場合はマレだ。
夢には、まれに自意識を伴い自在に操れる「明晰夢」というのもある。最近の私の夢は静止画で、自分がワープロで書いた文章を推敲する夢を見る。不思議なことにモノクロで縦書きの文章として夢になる。目覚めた時は文章をすべて忘れている。
複雑な脳の神経回路は、ヒトの長い進化の過程と出生後の学習により発達したもので、原理的には老人になっても新回路が形成される。
チョムスキーを持ち出したのは、福沢諭吉の「脱亜論」を読んで、彼が英語で思考し、日本語の文章を書いたと推測できたからだ。
実際に日本人と外国人に「計算は何語でするか、夢では何語で話すか?」聞いてまわったことがある。ほとんどの日本人は「計算も夢も日本語」と答えたが、一人「計算は英語、夢も英語」と答えた日本人教授がいた。彼はアメリカ生まれで日本人の両親が交通事故で死亡したため、中学から日本の学校に進み医学部と出た。
「計算はイディッシュ語、夢はスペイン語」と答えたのは、アルゼンチン出身のNCIの医師だった。東欧からの移民したユダヤ人の家系で、九九を教えてくれたのが祖母だったという。
「九九は朝鮮語と日本語のチャンポン」と答えたのは大阪出身の在日医師だった。「さざんがく」の部分が「サムサムク」となるそうだ。他の箇所は日本語になっているという。
チョムスキーの説では、「計算も思考も脳の神経回路の機能であり、それが表に出る時に、英語になるか日本語になるかの違いにすぎない」ということになる。これは上記の私の観察例とよく一致する。
私の場合は、脳の発達障害があって一般人より「20年くらい遅れている」(初回入院時に精神科の名医に家内がそう告げられたという)。「治るには20年かかります」とも言われたそうだ。
今、77歳だからちょうど20年になる。恩師のその先生はもう引退されたので、今はO先生が「一の弟子だ」と推薦された、H先生に受診している。
ヘルマン・ヘッセの書評のために、ヘッセ評伝を読んでみて、彼には少年期に精神病院への入院歴があることを知った。晩年の著作に「ひとは歳とるにつれて若くなる」という内容の随筆集があったと記憶する。要は「神経多様性」の人も、加齢と共にそれなりに成熟するのだと考えれば、納得がいく。
作家の高橋幸春さんの縁で「医薬経済」誌の恵送を受けるようになり、鳥集徹という非常にすぐれた医療・医薬のジャーナリストの存在を知った。気づいて見ると「文藝春秋」にも彼の連載が始まった。
その2月号に「睡眠:寝る時間より<起きる時間>を決める」という鳥集(とりだまり)氏の論文が載っている。
これを読んで、「私のバイオリズム」に合った睡眠に戻すことを実行した。
一日中、前方80cmの位置にあるPC画面と机上の書物・書類の類を見つめているので、仕事の終りには外眼筋が疲労してひどい圧痛がある。指でマッサージしても治らない。
子供の頃、家の電灯は定額制でメーターがなく、電灯数により料金が決まっていた。
そこで2人の弟たちが寝た後、夜遅くまで子ども部屋で本を読んでいた。静かで集中できるからだ。
当然、朝起きるのは遅くなる。よって学校は「遅刻常習犯」だった。教師たちの覚えが目出度いはずがない。1957(昭和57)に広島大附属高校に入学した時も、受験については中学教師にはまったく相談しなかった。思えばこの小中時代に私固有の体内時計がセットされたと思う。よって「早寝早起き」型の体内時計をもつ世の多数と人々とは食い違っている。
高校1年の時は寮に入ったが、相変わらず遅刻して登校していたので、クラスの口の悪い女子から「重役出勤」と呼ばれた。この言葉を聞いたのはこれが初回だ。(米国留学中にも誰か日本人が教えたらしく、出勤したら私の技術員から「ジューヤクシュッキン」と呼びかけられて驚いたことがある。)
教科書がある授業なら、それを読めばわかるので、出席の必要はない。大学での私の授業は自分で執筆した教科書を用い、「出席は取らない。居眠りも自由。但し私語とケータイは禁止、違反者は教室から退去させる」と宣言して、定年までそれを貫いた。教室からつまみ出された学生は唯ひとり、私語停止の指示に従わなかった女子医学生だった。その名前は今も覚えている。(聴講生名簿のコピーは手許に保存してある。)病理学同門会の忘年会で、私のスピーチの最中に私語している女医がいた。頭に来て怒鳴りつけたことがある。以後この女医は出席しなくなった。いずれも女医(またはその卵)という共通項がある。彼女たちも、後述の「神経多様性」に属すると思う。
そこで2日ほど、「鳥集論文」に従って、「朝10時起床」になるように入浴時間と睡眠剤・抗うつ薬の服用時間を変えて見た。寝る前に排尿はしておく。トイレに起きる必要がないので、確かに熟眠できる。朝になり、部屋の空調を切り、手を伸ばしてブラインドを少し開けると、裸眼でも壁時計で時間が確認できる。眠気が去っているのを確認したら、一気に起きる。これで眼精疲労は完全に消失している。
入浴前にベンザリン1錠(薬効濃度に達するのが1時間後)を飲み、風呂から上がり寝る前にマイスリー2錠(5mg x 2、薬効濃度に達するのが30分後)を飲むのがコツだ。
病院の薬剤師は2剤とも「就寝前に服用」という使用法を印刷してくるが、あれは間違っていると思う。
即効性の入眠薬と持続性の睡眠薬のピークが、一致するように服用する方が効果的だ。
医師は入浴前の服用を「風呂で溺れる危険性がある」と忌避するが、備え付けてある浴槽のタイプまでは確認しない。住んでいる町の近辺では、老人が五右衛門風呂で入浴中に、心臓あるいは脳の梗塞を起こし、熱湯で釜ゆでになった事故死の話しか聞いたことがない。
中野信子「サイコパス」(文春新書)、立入勝義「ADHDでよかった」(新潮新書)が売れているらしいが、冒頭の3人の著作を読んだかぎりでは、「神経多様性」(ニューロダイバーシティ=ND)という概念で理解するのが望ましいと思う。トランプ大統領は、やはりこれに属するだろう。米国の大統領には他にもサイコパスがいた。ヒトラーもサイコパスだ。
私の集中力は6時間ぐらい持続できる。それをやり続けると眼精疲労だけでなく、過度に働いた一連の脳神経回路のニューロンが疲労する。それが「うつ状態」のトリガーとなるのでは、と考えている。
「記事転載は事前に著者の許可が必要です。必ずご連絡いただきますようお願いいたします」
脳科学者エーデルマンの「脳内神経回路の進化」、言語学者チョムスキーの「不変文法論(生成文法論)」、神経科医で作家のオリバー・サックスの自験例と著作「道程」によれば、脳内のニューロンは小さなまとまりの回路をつくっていて、これらの回路群が適宜に協調して精神活動が生まれているという。ここは無意識の過程で、それを「意識する」意識は0.5秒遅れて発生する。
夢はレム睡眠の時に見るが、この時脳は部分的に目覚めている。しかし自意識を伴う場合はマレだ。
夢には、まれに自意識を伴い自在に操れる「明晰夢」というのもある。最近の私の夢は静止画で、自分がワープロで書いた文章を推敲する夢を見る。不思議なことにモノクロで縦書きの文章として夢になる。目覚めた時は文章をすべて忘れている。
複雑な脳の神経回路は、ヒトの長い進化の過程と出生後の学習により発達したもので、原理的には老人になっても新回路が形成される。
チョムスキーを持ち出したのは、福沢諭吉の「脱亜論」を読んで、彼が英語で思考し、日本語の文章を書いたと推測できたからだ。
実際に日本人と外国人に「計算は何語でするか、夢では何語で話すか?」聞いてまわったことがある。ほとんどの日本人は「計算も夢も日本語」と答えたが、一人「計算は英語、夢も英語」と答えた日本人教授がいた。彼はアメリカ生まれで日本人の両親が交通事故で死亡したため、中学から日本の学校に進み医学部と出た。
「計算はイディッシュ語、夢はスペイン語」と答えたのは、アルゼンチン出身のNCIの医師だった。東欧からの移民したユダヤ人の家系で、九九を教えてくれたのが祖母だったという。
「九九は朝鮮語と日本語のチャンポン」と答えたのは大阪出身の在日医師だった。「さざんがく」の部分が「サムサムク」となるそうだ。他の箇所は日本語になっているという。
チョムスキーの説では、「計算も思考も脳の神経回路の機能であり、それが表に出る時に、英語になるか日本語になるかの違いにすぎない」ということになる。これは上記の私の観察例とよく一致する。
私の場合は、脳の発達障害があって一般人より「20年くらい遅れている」(初回入院時に精神科の名医に家内がそう告げられたという)。「治るには20年かかります」とも言われたそうだ。
今、77歳だからちょうど20年になる。恩師のその先生はもう引退されたので、今はO先生が「一の弟子だ」と推薦された、H先生に受診している。
ヘルマン・ヘッセの書評のために、ヘッセ評伝を読んでみて、彼には少年期に精神病院への入院歴があることを知った。晩年の著作に「ひとは歳とるにつれて若くなる」という内容の随筆集があったと記憶する。要は「神経多様性」の人も、加齢と共にそれなりに成熟するのだと考えれば、納得がいく。
作家の高橋幸春さんの縁で「医薬経済」誌の恵送を受けるようになり、鳥集徹という非常にすぐれた医療・医薬のジャーナリストの存在を知った。気づいて見ると「文藝春秋」にも彼の連載が始まった。
その2月号に「睡眠:寝る時間より<起きる時間>を決める」という鳥集(とりだまり)氏の論文が載っている。
これを読んで、「私のバイオリズム」に合った睡眠に戻すことを実行した。
一日中、前方80cmの位置にあるPC画面と机上の書物・書類の類を見つめているので、仕事の終りには外眼筋が疲労してひどい圧痛がある。指でマッサージしても治らない。
子供の頃、家の電灯は定額制でメーターがなく、電灯数により料金が決まっていた。
そこで2人の弟たちが寝た後、夜遅くまで子ども部屋で本を読んでいた。静かで集中できるからだ。
当然、朝起きるのは遅くなる。よって学校は「遅刻常習犯」だった。教師たちの覚えが目出度いはずがない。1957(昭和57)に広島大附属高校に入学した時も、受験については中学教師にはまったく相談しなかった。思えばこの小中時代に私固有の体内時計がセットされたと思う。よって「早寝早起き」型の体内時計をもつ世の多数と人々とは食い違っている。
高校1年の時は寮に入ったが、相変わらず遅刻して登校していたので、クラスの口の悪い女子から「重役出勤」と呼ばれた。この言葉を聞いたのはこれが初回だ。(米国留学中にも誰か日本人が教えたらしく、出勤したら私の技術員から「ジューヤクシュッキン」と呼びかけられて驚いたことがある。)
教科書がある授業なら、それを読めばわかるので、出席の必要はない。大学での私の授業は自分で執筆した教科書を用い、「出席は取らない。居眠りも自由。但し私語とケータイは禁止、違反者は教室から退去させる」と宣言して、定年までそれを貫いた。教室からつまみ出された学生は唯ひとり、私語停止の指示に従わなかった女子医学生だった。その名前は今も覚えている。(聴講生名簿のコピーは手許に保存してある。)病理学同門会の忘年会で、私のスピーチの最中に私語している女医がいた。頭に来て怒鳴りつけたことがある。以後この女医は出席しなくなった。いずれも女医(またはその卵)という共通項がある。彼女たちも、後述の「神経多様性」に属すると思う。
そこで2日ほど、「鳥集論文」に従って、「朝10時起床」になるように入浴時間と睡眠剤・抗うつ薬の服用時間を変えて見た。寝る前に排尿はしておく。トイレに起きる必要がないので、確かに熟眠できる。朝になり、部屋の空調を切り、手を伸ばしてブラインドを少し開けると、裸眼でも壁時計で時間が確認できる。眠気が去っているのを確認したら、一気に起きる。これで眼精疲労は完全に消失している。
入浴前にベンザリン1錠(薬効濃度に達するのが1時間後)を飲み、風呂から上がり寝る前にマイスリー2錠(5mg x 2、薬効濃度に達するのが30分後)を飲むのがコツだ。
病院の薬剤師は2剤とも「就寝前に服用」という使用法を印刷してくるが、あれは間違っていると思う。
即効性の入眠薬と持続性の睡眠薬のピークが、一致するように服用する方が効果的だ。
医師は入浴前の服用を「風呂で溺れる危険性がある」と忌避するが、備え付けてある浴槽のタイプまでは確認しない。住んでいる町の近辺では、老人が五右衛門風呂で入浴中に、心臓あるいは脳の梗塞を起こし、熱湯で釜ゆでになった事故死の話しか聞いたことがない。
中野信子「サイコパス」(文春新書)、立入勝義「ADHDでよかった」(新潮新書)が売れているらしいが、冒頭の3人の著作を読んだかぎりでは、「神経多様性」(ニューロダイバーシティ=ND)という概念で理解するのが望ましいと思う。トランプ大統領は、やはりこれに属するだろう。米国の大統領には他にもサイコパスがいた。ヒトラーもサイコパスだ。
私の集中力は6時間ぐらい持続できる。それをやり続けると眼精疲労だけでなく、過度に働いた一連の脳神経回路のニューロンが疲労する。それが「うつ状態」のトリガーとなるのでは、と考えている。
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