最近、テレビでもラジオでも何でも、やたらと「~することに」というナレーションが多すぎませんか?
なぜ「~することにしました」「~することになりました」といえないのでしょうか。
私は今年還暦なので、人生をとっくに折り返していますが、かといって後期高齢者ほどの老人でもありません。
まあ早い話、おっさんとじいさんの真ん中くらいでしょうか。
当然、最近の若い人たちの新しいことば使いには、まったくついていけません、
出れる、食べれるなどの「ら抜きことば」は、もう私がいくらいってもなくならないでしょう。
私と歳が近い、下手すると私より年上の人も平気で使っていて、悪いという意識すらありません。
テレビなどではまだテロップに「ら」を入れていますが、それもいつまで続くかどうか。
「全然大丈夫」も気になります。
そもそも「全然」はうしろに否定形がくる、つまり「全然だめ」「全然~でない」などのように使うものです。
肯定に使うものではありません。
「勝利する」もひどいですね。
「~する」は、動詞の後につけるものです。
「運転する」「ドライブする」とはいうけれど、「自動車する」とはいわないでしょ。
まあ、「お茶する」という妙なことばが浸透しているから、いっても無駄でしょうけど。
さすがにまともな新聞や雑誌では使いませんが、自分の発言に「w」や「(笑)」をつけるのは、もう頭が痛いですね。
「(笑)」は対談などでテープ起こしをする時、その人が笑ったことを示す時に使うものです。
自分の発言には使わないものですよ。
というわけで、病気で仕事のできない私は人と直接話すことはほとんどなく、テレビやネットで他人の発言に毎日いらいらしているわけです。
かといって、いちいちクレームをつけるわけにもいきませんしね。
私にできるのは、私が正しいと信じることばを使い続けるだけです。
なぜ「~することにしました」「~することになりました」といえないのでしょうか。
私は今年還暦なので、人生をとっくに折り返していますが、かといって後期高齢者ほどの老人でもありません。
まあ早い話、おっさんとじいさんの真ん中くらいでしょうか。
当然、最近の若い人たちの新しいことば使いには、まったくついていけません、
出れる、食べれるなどの「ら抜きことば」は、もう私がいくらいってもなくならないでしょう。
私と歳が近い、下手すると私より年上の人も平気で使っていて、悪いという意識すらありません。
テレビなどではまだテロップに「ら」を入れていますが、それもいつまで続くかどうか。
「全然大丈夫」も気になります。
そもそも「全然」はうしろに否定形がくる、つまり「全然だめ」「全然~でない」などのように使うものです。
肯定に使うものではありません。
「勝利する」もひどいですね。
「~する」は、動詞の後につけるものです。
「運転する」「ドライブする」とはいうけれど、「自動車する」とはいわないでしょ。
まあ、「お茶する」という妙なことばが浸透しているから、いっても無駄でしょうけど。
さすがにまともな新聞や雑誌では使いませんが、自分の発言に「w」や「(笑)」をつけるのは、もう頭が痛いですね。
「(笑)」は対談などでテープ起こしをする時、その人が笑ったことを示す時に使うものです。
自分の発言には使わないものですよ。
というわけで、病気で仕事のできない私は人と直接話すことはほとんどなく、テレビやネットで他人の発言に毎日いらいらしているわけです。
かといって、いちいちクレームをつけるわけにもいきませんしね。
私にできるのは、私が正しいと信じることばを使い続けるだけです。
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