昨日は夕方から携帯の電波が届かなくなり、スマホからの情報収集もできなくなりました。
せっかく充電する手段を得たのに、電波がなければ時計代わりにしかなりません。
人生初めての真っ暗な夜を過ごす事になり、懐中電灯だけが頼りの生活。頭をフル回転して家事を始めました。
今回幸いにもわが家は断水はしていないし、ガスも普通に使えます。ご飯は昔やっていたように厚手の鍋で
炊いて、おかず作りは冷蔵庫にあるものに優先順位をつけて無駄なく使いきるように工夫しました。
お風呂はボイラーが使えないので湯船に少し水を張り、大きな鍋とやかんでお湯を沸かして何度も湯船に入れて
一時間くらいかけて適温のお湯を作りました。このお湯を湯桶ですくいながらシャンプーしたり体を洗い、
ほぼシャワーを浴びたのと同じ普通の入浴ができました。私たちは豚舎仕事があるので入浴は欠かせません。
これがもし断水していたらと思うとぞっとしますが、いざとなれば川の水を汲んできたかもしれません。
夕食も入浴も終わると、真っ暗な部屋ではもう何もすることがない(できない)ので早々と布団を敷いて横になり、
音の悪い携帯ラジオで何とか電波をひろって気晴らしと情報収集をしているうちに、台風と前夜の疲れが出て
あっという間に眠りに落ちました。夜の9時から朝の5時までぐっすりと眠ることができたのは疲れていたから
だけではなく、わが家地域では余震も感じずに済んでいるお陰です。
こんなブラックアウト状態の中で何度も余震に見舞われている地域の方の心労は大変なものだと胸が痛みます。
今朝はまだ殆ど停電が解消されていなかったので、いつもの時間に朝刊が届くとは思っていませんでした。
紙面を見て初めて今回の被害のすさまじさを知り言葉になりません。わが家は同じ胆振(いぶり)地方ですが
震源地のある東部とは反対側の西部地域。まさかここまで酷いことになっていたとは…
この震災は「平成30年北海道胆振東部地震」と命名されたと聞きました。今回は地震そのものの被害に加え、
全道に及ぶ大規模停電が私たちの生活に大きな影響を及ぼしています。今日になってまず役場や病院周辺の狭い
範囲で停電が解消されたものの、町へ下りるとまだ信号機は消えていたり
鉄道もストップしたまま。わが家はいつ電気が通るのかわからなかったので、冷蔵庫の中身を消費するのは時間
との戦いです。昨日一日ならまだしも二日目となると冷蔵室はすでに常温の箱だし冷凍庫もじわじわ溶け始め、
解凍してしまったものは食べてしまわないと…という訳で、意外と豪勢な(?)昼食に。
夕方になっても電気は来なかったので二回目の暗い夜を覚悟して、夕飯の支度を始めました。ちなみにわが家では
昨晩の経験から懐中電灯を上向きに立てて、天井に光を当てると間接照明のようになり部屋全体を照らすことに
気づきこんな感じで使いました。
手元は暗いけど調理もちゃんとできます。
今夜の夕食は、冷凍してあった豚肉とホタテと、冷蔵できず少し萎びかけてた茄子をフライにしてみました。
夕方、通電していたコンビニで冷たい缶ビールも買っておいたので、いつもよりご馳走になりましたヨ。
キャンドルディナーならぬ懐中電灯ディナーです(笑) BGM代わりにラジオから流れる野球中継を聴きながら。
ファイターズは仙台に移動できなかったため今日の試合は中止になり、今日は別のチームの試合中継ですけどね。
という夕食を終えて席を立ったその瞬間、突然電気が点きそれと同時にスマホから様々な着信音が鳴りました。
時計を見たら午後7時8分、約40時間ぶりの明かりにほっとしました。今までこれほど電気に感謝したことが
あったでしょうか! いつもあるのが当たり前と思っていたライフラインですが、そのどれが欠けても生活に
大きな支障が出るのだという事が改めてわかった貴重な経験となりました。
ひとまず明日は二日分たまっている大量の洗濯物を洗うことにします。
いまだ不便を強いられている地域の皆様の生活が一日でも早く元通りになりますようお祈りします。
(いただいているコメントへのお返事が遅れて申し訳ありません。少々お待ちくださいm(_ _)m)
せっかく充電する手段を得たのに、電波がなければ時計代わりにしかなりません。
人生初めての真っ暗な夜を過ごす事になり、懐中電灯だけが頼りの生活。頭をフル回転して家事を始めました。
今回幸いにもわが家は断水はしていないし、ガスも普通に使えます。ご飯は昔やっていたように厚手の鍋で
炊いて、おかず作りは冷蔵庫にあるものに優先順位をつけて無駄なく使いきるように工夫しました。
お風呂はボイラーが使えないので湯船に少し水を張り、大きな鍋とやかんでお湯を沸かして何度も湯船に入れて
一時間くらいかけて適温のお湯を作りました。このお湯を湯桶ですくいながらシャンプーしたり体を洗い、
ほぼシャワーを浴びたのと同じ普通の入浴ができました。私たちは豚舎仕事があるので入浴は欠かせません。
これがもし断水していたらと思うとぞっとしますが、いざとなれば川の水を汲んできたかもしれません。
夕食も入浴も終わると、真っ暗な部屋ではもう何もすることがない(できない)ので早々と布団を敷いて横になり、
音の悪い携帯ラジオで何とか電波をひろって気晴らしと情報収集をしているうちに、台風と前夜の疲れが出て
あっという間に眠りに落ちました。夜の9時から朝の5時までぐっすりと眠ることができたのは疲れていたから
だけではなく、わが家地域では余震も感じずに済んでいるお陰です。
こんなブラックアウト状態の中で何度も余震に見舞われている地域の方の心労は大変なものだと胸が痛みます。
今朝はまだ殆ど停電が解消されていなかったので、いつもの時間に朝刊が届くとは思っていませんでした。
紙面を見て初めて今回の被害のすさまじさを知り言葉になりません。わが家は同じ胆振(いぶり)地方ですが
震源地のある東部とは反対側の西部地域。まさかここまで酷いことになっていたとは…
この震災は「平成30年北海道胆振東部地震」と命名されたと聞きました。今回は地震そのものの被害に加え、
全道に及ぶ大規模停電が私たちの生活に大きな影響を及ぼしています。今日になってまず役場や病院周辺の狭い
範囲で停電が解消されたものの、町へ下りるとまだ信号機は消えていたり
鉄道もストップしたまま。わが家はいつ電気が通るのかわからなかったので、冷蔵庫の中身を消費するのは時間
との戦いです。昨日一日ならまだしも二日目となると冷蔵室はすでに常温の箱だし冷凍庫もじわじわ溶け始め、
解凍してしまったものは食べてしまわないと…という訳で、意外と豪勢な(?)昼食に。
夕方になっても電気は来なかったので二回目の暗い夜を覚悟して、夕飯の支度を始めました。ちなみにわが家では
昨晩の経験から懐中電灯を上向きに立てて、天井に光を当てると間接照明のようになり部屋全体を照らすことに
気づきこんな感じで使いました。
手元は暗いけど調理もちゃんとできます。
今夜の夕食は、冷凍してあった豚肉とホタテと、冷蔵できず少し萎びかけてた茄子をフライにしてみました。
夕方、通電していたコンビニで冷たい缶ビールも買っておいたので、いつもよりご馳走になりましたヨ。
キャンドルディナーならぬ懐中電灯ディナーです(笑) BGM代わりにラジオから流れる野球中継を聴きながら。
ファイターズは仙台に移動できなかったため今日の試合は中止になり、今日は別のチームの試合中継ですけどね。
という夕食を終えて席を立ったその瞬間、突然電気が点きそれと同時にスマホから様々な着信音が鳴りました。
時計を見たら午後7時8分、約40時間ぶりの明かりにほっとしました。今までこれほど電気に感謝したことが
あったでしょうか! いつもあるのが当たり前と思っていたライフラインですが、そのどれが欠けても生活に
大きな支障が出るのだという事が改めてわかった貴重な経験となりました。
ひとまず明日は二日分たまっている大量の洗濯物を洗うことにします。
いまだ不便を強いられている地域の皆様の生活が一日でも早く元通りになりますようお祈りします。
(いただいているコメントへのお返事が遅れて申し訳ありません。少々お待ちくださいm(_ _)m)
その一例、
庭や家の周囲でつかう太陽光で灯すライト(ガーデンライトなど)を普段から使っていて、停電時は家の中へ持ち込むだけ。
防獣柵用太陽光発電装置(2−3万円の)から線を引いて、ふだんから室内照明電源として使っている。100Wくらい。交流電気の使用量が減っています。
自分たちで賄うだけの最低限の電源の確保は必要ですね。
これを機に発電機その他の購入を検討しています。