machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

荒川静香のウイニングランを放送しないNHK

2006-02-27 | Weblog

NHKはやっぱり昔と同じだった。 荒川静香の日の丸ウイニングランを放送してなかった。残念。

 こんな画面見たことある?

時間のある方は 動画も見てください。生放送なのに朝7時15分ころから22分ころまでビデオを流し続けたり、その後は氷の床を映して、大切な被写体の荒川静香を映さない。この時間に日の丸をまとったウイニングランが行われていたのだ。

日の丸を故意に隠すNHKとそのアナウンサー。これが公共放送か。視聴率40%の衆人監視の中でもこういう偏向をしているだから、いままでどんなことをしていたか分からない。

 でも、荒川静香は自然に国歌を口ずさみ、国旗に誇りを持っている。日本の若者には希望がある。

追記: さっき、夜十時のNHKニュースで録画で5秒くらい放送されたようですね。かなり抗議があってあわてて流したんだろうけど。


君が代

2006-02-24 | Weblog
通勤途中、車のラジオのNHKニュースで聞いた荒川静香の金メダルの「君が代」はジーンと感動した。NHKが朝の忙しいニュースの時間に「君が代」を初めから最後まで流したのにも驚きだ。昔なら「君が代」の曲の途中で打ち切ったものだ。世論が変わってきたことの表れか。

うちの子供の高校の入学式で、国家斉唱に保護者生徒全員起立したが、先生の半分以上が座ったままだったと妻が言っていた。公務員先生は遅れてるね。だめだね。
へんなイデオロギーに影響されて愛国心を否定するより、自然と心の底から湧き上がる祖国愛は誰も否定することができない尊いものだと思う。

在中日本大使館の職員が「国を売ることは出来ない」と遺書を残して中国の工作を拒否し自殺したが、彼は愛国者だ。二階級特進の殉職となったそうだが、良い決定だ。

多くの日本人が外国へ行くと日本人で良かったと国に感謝の気持ちになる。日本人は尊敬され、パスポートも権威がある。それは、優秀な日本文化や日本製品や正直で勤勉な先人の築き上げた信頼によるものだ。

日本人と同じような顔立ちの中国人や韓国朝鮮人は海外では軽蔑されている。チャイニーズとかチーノとか子供にはやされる。私も中国人に見えるのか時々はやされた。中国政府が日本に向かって、まるで宗主国のように上から物を言うが、日本は萎縮しなくてもいい。彼らは世話になっても感謝も出来ない、突っ張ってないとやっていけない中学生みたいに、国力に自信がないのだ。

日本は国際的信用を更に築き、的確な防衛戦略を立て、それを着実に進めてゆくことが必要だ。
日本人が日本に誇りを持つ。私はこの国がそういう普通の国になってもらいたい。






喜怒哀楽

2006-02-19 | Weblog
感情は予想と現実の食い違いや位置関係で色々変わる。
箸が転んでも可笑しい年頃というが、留まっているだろうと思った箸が転がった。そんな些細な食い違いにも心が動くほど敏感な年頃ということだ。

予想願望と現実が食い違ったとき笑いが生じる、それが切実なときは悲しくなる。食い違いを取り戻せると思い取り戻そうとするときに怒りが生じる。取り戻せないと分かると悲しみが湧く。

喜びは二つのものが一致したときに生じ、それが継続すれば平和であり、幸福を感ずる。自由も単独ではありえず中心からの愛情と言う引力と自由行動という回転運動から生ずる遠心力が一致して、永続する平和と幸福が生ずる。

感情については、きっちりとは捉えていないが、考えるには面白い題材だ。

現場監督という仕事

2006-02-18 | Weblog
入札が近づいて見積もりが忙しい。
この業界、見積もりだ工期だ検査だと、結構ストレスがたまる。
現場監督はストレスのたまる仕事ランクで二番目だという調査結果がある。

その分、時間に拘束されない部分もある。じゃなきゃやってられないが。


高速道路を無料に

2006-02-12 | Weblog
今日、高速道路を使って100km離れた街に行って来た。片道で2500円もする。

名神高速、東名高速が出来た当時(古いね)、道路建設費用が払い終わったら無料にすると言っていたのに、いつの間にかそんな話は消えてしまった。

もしも、もしもだよ、今の我が家の車で15万キロ(前の車はこのくらいで替えた)全部高速道路で走るとして、
車両購入価格(経費、税込み)は              130万円
ガソリン代は15万キロ÷燃費12.5Km/L*125円/L= 150万円
高速道路は15万km*2500円/100km=          375万円

高い、高すぎる。これが日本の常識。
高速無料は世界の常識。

バブル時代、海外派遣の休暇中、フランクフルトのシェラトンホテルに泊まって、ホッケンハイムにF1を見に行った。往路はパリ行きの電車、復路はベンツのタクシーで片側3車線のアウトバーンの真ん中の車線を時速170キロで走る、それをポルシェはビュンビュン抜いてゆく。30分くらいでホテルに着いて、高速は無料、いくらだか忘れたけどタクシー代だけだった。
参照

今日は雪の中、帰りは下道で帰ってきた。2500円あればコンビニで色々暖かいものを買ってもまだまだあまる。(今はバブル時代の面影なし トホホ・・)




財政赤字

2006-02-11 | Weblog
政府の財政が膨大な赤字で1000兆円を超えているとか。

でもそれほど心配はいらない。政府が国民から借りているのだから、極端に言えば国債の満期が来たら、一万円札を刷って払えばいい。通貨量が増えてインフレになるが政府の財政は回復する。江戸時代に田村意次などが既にやってうまくやっていたそうだ

日本は国債を国内でほとんどが買われているが、アメリカや破綻した国では海外から調達しているので事情が違う。

経済は私には全く専門外だが興味深い。

冤罪(人権)

2006-02-08 | Weblog
5年前の事件だが、仙台の北陵クリニック事件には常に関心を持っている。
事件当初の病院側の記者会見の時から、女性副院長に違和感も感じている。
裁判官が基本的な裁判の原則を無視していることに不信感がある。
警察や検察の取調べにも疑問がある。

この歳になると、世の中の正義であるべきものの中に多くの欺瞞が見えてくる。
日本の人権意識は先進国には程遠いと思う。 

カルトと言われる宗教団体に対する批判も、マインドコントロールという言っている本人も理解できない概念で人権を無視してなされている。
人権が現代でも侵され続けている側面があることを監視してゆきたい。

粟ヶ岳

2006-02-05 | Weblog
粟ヶ岳の写真をのせておきます。

この時期、山小屋は雪に埋もれている。雪を掘って小屋の屋根のハッチから入るそうです。夏には40代50代の3人で登ったことがあるが、きつかった。その後同じメンバーで富士山に登ったが、8合目で小屋に泊まったせいもあるが富士山のほうが楽だった。

雪 (写真:埋まったバス停)

2006-02-05 | Weblog
八丈島で60年ぶりに積雪を観測したとのこと。
新潟でも今日津南で4m以上を観測し25年ぶりだそうだ。
12月にも4m近く積もったがその後は温暖な日が続いて溶けて下がっていたが、ここの所の寒さと積雪でついに。

わが町では困るほどは降らないが、川の上流のダム湖の広場に行ってみたら1.5mほど積もっていた。写真はバス停と私。
このダム湖は水源池と呼ばれ、わが町の貴重な水源、一部信濃川からも引いている。春は周囲を桜がいろどり、夏はバーべキューやキャンプの人で賑わう。冬は閉鎖され、1300m弱だが夏でも厳しい粟ヶ岳登山の数人が通るだけ。

小学校の時に聞いた童話を思い出した。旅人が雪原でロバを杭につないで休んだ。翌朝日が昇って暑くなって目覚めると街中だった。人々が空を見上げるので見たらロバが教会の屋根の上の十字架につながれてぶら下がっていたと言うお話。

節分

2006-02-03 | Weblog
わが渡辺家では豆まきをしない。
渡辺氏の祖と言われる平安時代の武将、渡辺綱(わたなべのつな)が鬼を退治したからとか、妻の父は言っている。
十年前、家族そろって妻の家に入り、苗字が変った。

私の生家では小さな頃、節分となると長い青竹の竿の先に柊(ひいらぎ)の葉をくくりつけて、その下に背中に背負うくらいの竹かごにミカンや餅?を入れ、かごが屋根の上に出るように軒先に立てかけたものだ。屋根の上の鬼を捕まえるためだ。暗くなった屋根の上に鬼がいると思うと怖かった。家の中の明かりの下ではみんなで炒った豆を撒きながら「鬼は外、福は内」と叫んで楽しかった。

子供の頃は季節ごとに行事があった。「かやかや」と呼ばれる藁で作った馬を小さな山車に乗せて引く祭りや、お盆や彼岸、ススキや団子を東の縁側に飾って月の出を待つ月見。正月は新しい下駄を履いた。

自由について

2006-02-02 | Weblog
他の人のブログを見てたら、自分の浅学が恥ずかしくて書けなくなっていた。
深く考えずにまた始めてみよう。
小泉さんが昨日、格差について答弁していたので、「自由について」。


自由は何をやっても良いというものじゃない。
ライブドアが法律に触れないギリギリのところで経営をしてきたが、今、世間から放出されようとしている。

自由に振舞うにも、ある規則、法則を中心にした範囲内でなければならない。
地球が太陽の引力圏にあって生命活動ができ、子供が母親の目の届く範囲で自由に遊びまわるようなもの。

地球が太陽の引力圏から抜けて行ったら、今の環境を保つことは出来ず生命の存在は出来ない。母親のいない部屋で自由に遊べと言っても、子供は部屋の隅でしょんぼりしているだけだろう。
自由な旅も帰る家があってのこと、ホームレスじゃ自由じゃない。