machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

あの人の名は

2007-01-28 | Weblog
30年以上前になるが、九段会館で行われた自主憲法制定国民会議という大会に私は参加していた。岸信介や福田赳夫やたくさんの国会議員がひな壇に控えるステージの中央で私と同じ年齢の早稲田大学四年の女子学生が青年代表で演説をした。

その熱のこもったすばらしい演説と美貌に、この人はどんな人になり、どんな活躍をするのだろうかと思った。今日、初めてその名を知った。竹内佐和子さんという。

私が今つながっている教会の責任者が早稲田出身でその頃のことを知っているかと思って聞いてみた。竹内佐和子は早稲田卒業数年後、フランスに留学し経済学の専門家となり、東大の助教授、日本政府のブレーンとなっていったとのこと。インターネットで調べてみると、見事な経歴だ。現在京大での研究内容も実にすばらしい。ノーベル賞クラスの研究だと思う。

マスコミで統一教会の学生組織に在籍していたことで、色々言われたこともあったようだが、何が悪いのか言った人に聞いてみたい。

若い頃に統一教会の教理を聞いた人は100万人以上いると言われている。その後の行く道は人それぞれであるが各方面で立派に活躍している。
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雪のない新潟

2007-01-26 | Weblog
今年はどうしたことか、新潟に雪が降らない、除雪車も一度も出ていない。

14年前の今日、アフリカでの仕事を終わって新潟に来て地元の建設会社に勤めはじめた。当日は大雪で、上司に聞いた。「雪が降っていますがどうしましょうか」。関東地方では雨が降っても土方は休む。「雪が降って休むなら、いつ仕事をするんだ」と。ガーンである。意識転換させられた。

あの年も去年のように大雪だった。雪に埋もれて忍耐力が付く。新潟県人は粘り強い。内にこもって陰険でもあるが。

関東地方で育った人とは、考え方が違う。感じ方が違う。言葉の意味が違う。つまり、文化が違う。

今日は三月の陽気だった。雪はどこに行ったんだ。
もうすぐ桜が咲くんじゃないかな。
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大叔父

2007-01-21 | Weblog
私の父方の祖父は大工の棟梁、大叔父片岡春司は日大の建築科の第一期生。戦前の鉄道省の技師として新潟県小千谷周辺の信濃川発電所の建設工事のため赴任し、昭和27年の定年まで殆どをここで過ごした。この工事では戦前戦後を合わせて100名前後の犠牲者があり、今も立派な慰霊碑がたっている。

大叔父は93歳で亡くなって弔辞で後輩が述べたこと。戦前、発電所工事現場の事故で日本人朝鮮人の多くが被災した時に、たまたま居合わせた本省のお偉方が日本人から先に助けろと言った時に、大叔父は現地の責任者として日本人朝鮮人は関係ない重傷者から助けろと命じたそうだ。差別が嫌いだった。
あの時代奴隷のように徴用された朝鮮人に対しても差別意識を持たなかった大叔父。昔は学校の先生も、良家の子供には「さん付け」で呼び、大叔父のように大工の息子などは呼び捨てにされたそうだ。

大叔父は退職後スーパーゼネコンに天下りする。そこの社長が「片岡さん、新潟県にいらしたそうだが、今度新潟県の指名に入りたいので知り合いはいませんか。」と聞いてきた。丁度その時、新潟県知事をしていた岡田さんという人を戦前に何かで助けたことがあって、そのことが幸いしたそうだ。私の千葉の生家の建物は築60何年だがしっかりしている。8畳の部屋の天井は15ミリほどの板4枚で出来ている。大きな材料をたくさん使っているが新潟から貨車で運んだもので大叔父が岡田さんから貰ったものとか。

私は縁あって新潟県に婿入りしたわけだが、この家の本家の長男は戦後まもなく小千谷のこの工事現場の落盤事故で亡くなっている。なにか縁がある。
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鰯の丸干し

2007-01-17 | Weblog
兄は時々魚を送ってくれる。九十九里浜の鰯の丸干しやゴマ漬け、鯵のヒラキなどだが、本当に旨い。あまり私を誉めない妻の母もおいしいと言っては食べる。新潟の冬は湿度が高く、日照時間の極端に少ない。こんな地域ではああいう旨い干物はできない。

千葉の生家を離れて他人のもとで暮らすようになって、ビックリしたのは魚を焼いて他の料理のように皿に載せて食卓に放置していることだった。冷えてしまうじゃないか。なんでこんな不味い食べ方をするんだろうか。魚の味を知らないのか。

魚の食べ方は七輪やガスコンロで焼いて魚の脂が煮えている時に皿に上げて醤油をジュっと垂らして、かぶりつくものだと思っていた。
だから驚きだった。

家の子も千葉で食べる魚はおいしいと言う。マグロの刺身もうまいと言う。千葉じゃマグロが上がるわけではないが、魚の味の分かる土地だから魚屋も不味いマグロを仕入れてくる訳にはいかないんじゃないだろうか。

イワシには3種類あって、マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシ(セグロイワシ)。丸干し、砂糖醤油で生姜を入れての煮魚、粕漬けやゴマ漬け。どれもおいしい。

年をとると子供の頃の味が恋しくなるのは、味を本能的に覚えているからだろう。
母は、アジのヒラキも作った。イワシのたたきも旨かった。乾燥芋も干したり、ラッキョウも梅干も漬けていた。饅頭も蒸かしてくれた。
どれも本当に旨かった。
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社会の不満

2007-01-15 | Weblog
風邪で正月から寝込み、いまだに咳とタンに悩まされている。忙しすぎて疲れが溜まっていたようだ。

最近の世の中を見ると、勝ち組、上流階級の不正に失望させられる。医師による医療費不正受給、国会議員の経費の不正申請、弁護士の悪事。
国際的にはイラク政策。

昔は偉い人は偉かった。最近は偉い人に馬鹿が増えた。
世襲による指導者の小物化。教養の欠落によるモラルの欠如。

社会の底辺に不満が溜まっている。どう解決されてゆくのだろうか。
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聖地巡礼

2007-01-01 | Weblog
高二の息子と二人で韓国にある統一教会の聖地に行ってきた。
二泊三日、成田に朝8時に集合。新幹線でも間に合わないので0時過ぎの夜行列車「ムーンライトえちご」で行くことにした。時間になって加茂駅のホームに出るとアナウンスで新潟駅構内で架線事故により遅れるとのこと。寒い駅の構内で待たされる。構内には10人ほどの人がいる。見送りに来た妻の車に息子を乗せ、寒そうにしていたどこかの貧相なおばさんも乗せて待たせた。私は構内でアナウンスを待つ。「青春18キップ」で旅をするジーパンの女子高生グループは楽しそうに「しりとり」をしてキャーキャー遊んでいる。「インドカレー」のあと考えて「エスビーカレー」でなぜかつぼに嵌って笑ってしまった。

三時間半遅れの午前3時間50分にようやく出発。正常なら新宿に朝5時過ぎには着くが、何時に着くか分からない。途中停車時間を詰めてスピードを上げるのかと思ったが、むしろゆっくり走っている。ちょうど来た車掌に聞いたら雪のため速度を上げられないとのこと。このままでは100%間に合わない。わずかな可能性を掛けて新幹線に乗り換えることにする。携帯電話のインターネットで新幹線の時間を調べて高崎で乗り換える。駅のホームを息子と走り、やる気のない精算所の駅員にいらいらしながらキップを受け取りホームに着くと新潟発始発の新幹線が入ってきた。

上野に着く前に集合時間の8時は過ぎた。行くだけ行ってみよう。上野で京成に乗り換え成田空港の第二ビル駅で降りる。10時のフライトまで22分しかない。パスポートを見せたり道を聞いたり、エスカレーターを駆け上ったり、息子と二人で運動会の障害物競走のようにして息を切ってJALのチェックインカウンターに着いたのは15分前。「乗れますよ」の一言で一安心。搭乗券をもらい、胸に便名を書いたワッペンを貼り、タイトスカートとハイヒールのスタイルの良い係員の早足に案内されて、手荷物検査、イミグレを抜ける。搭乗口までの直線は動く歩道をカールルイスのような加速(のつもり)で走る。なんとか間に合った。途中バスのようでモノレールのようでもあり、ディズニーのアトラクションのような乗り物にも乗った。JALの係員さんありがとう。JAL。評判は悪いが、捨てたものじゃない。

携帯電話を出発一週間前に替えた。麻雀で少し勝ったので型落ちではあるがmovaから高性能のN902iSにした。これはそのままで国際電話も国際メールも出来る。その上、カメラも悪くない。韓国に着いて電源を入れるだけで設定されて使える。妻に電話をしてみた。よく聞こえる。すごい時代になったものだと年寄りじゃないがそう思う。

息子とは1歳から3歳までほとんど一緒に生活していない。アフリカに2年単身で行っていて大事な時期を失っていた。今回、息子と一緒に小さな危機を超えて近くなった気がする。
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