「アトムおやじ」の自然農園~自然と遊ぶ~

自然農法研究農園を中心に、天然生活を楽しみながら、いろんなことを妄想していきます。

灰はもちろん、煙も勿体ない!?~自然農園~

2020-12-07 20:56:27 | 自然農園

今朝も素晴らしい天氣の朝が迎えられた。

ストーブをタイマーで点けていたので寒さは感じていなかったが、それにしても、もう12月も中旬を迎えようとしているが、底冷えという寒さ感がない。

一時は少し感じていたこともあったが、今年の本格的冬の到来はまだ先のようだ。

というのも、世間は温暖化一辺倒の中、ミニ氷河期がやってくるというので、いろんな薪ストーブをそろえていたり、今の大きな窓も二重窓にしたりしていた。

が、1、2週間前だったか、突然太陽活動が活発化してきたという情報もあって、これから温かくなるのだろうかと思っていたところだった。

そして、今日は、800年ぶりの珍しい惑星直列(地震も要注意)の翌年から確実に寒冷化がやってくるという記事を見ていた。

冬至の21日以後ということになりそうだと。

で、今年は寒くなっても良いように、人型寝袋や羽毛入りのスリッパを買い込んでいたが、それらに頼る寒さでないし、今日も21前になってもストーブを点けていなかった。

今日の昼間も15時半ごろに漸く寒さを少し感じ始めていたが、13時前に温度計を見ると外は20度、内は24度で暖房など点けていたら暑くてたまらない程で、上着まで脱いでい出いたほどだった。

天氣予報では、来週の月曜日から本格的な冬がやってくるというので、これからどんどん寒くなって来るのだろうか?

何れにせよ、今日の自然農園の休みを決めていたので、子どもを学校に送ってから、徐に珈琲焙煎を始めた。

で、昨日、自然農園に行っていたので、それを書き留めておくことにした。

  • 灰はもちろん、煙も勿体ない!?~自然農園~

昨日も秘密基地での灰つくりに勤しんでいた。

この時期、何もないと言う訳ではないが、貴重な秘密基地の剪定枝や葉っぱで灰を作ってためておきたいからだ。

で、2日前に燃やし終えていた灰を薪ストーブから書き出し、紙袋に入れて摂っておくことにした。

小春日和の様な天氣で、汗が出てくるほどだったが、煙を浴びるのも氣持が良い。

さらに、その煙もそのまま放出させないで、秘密基地の室内に取り込めるよう、薪ストーブの一を移動させ、煙突を調整していた。

灰と共に煙も有効なもので、勿体ない感覚になっていた。

そして、その間に道路の落ち葉掃除をはじめたが、この落ち葉掃除をしながら、これは掃除ではない落ち葉の回収だと思っていた。

さらに、秘密基地に植えているイチョウの葉っぱも拾い集めていた。自家製虫除けで、ショウノウ代わりになるからだ。

このイチョウは、葉っぱの利用するためだったが、秘密基地に黄色の色どりを添えたいこともあった。

漸く、自然畑に行って観回りをして帰ろうとした。

で、日野菜を間引いてコウシンダイコンを試しに持って帰ることにした。

  • 枇杷の摘花の代わりの剪定も!~自然農園~

昨日は自然畑に入った時から西隣の話し声が氣になっていた。

で、直ぐ帰るつもりでいた。

が、帰る段になって東隣との境界の枇杷の枝が氣になったてしまった。

ところが、その時、敢えて干している布団を叩いて威嚇しているようにも感じられたが、ここは剪定しておくことを決めていた。

以前なら直ぐに帰っていた所だったが、こうしたことも自らの想念の結果だろうから、じっくり自己の想念観察をしておこうと考えたからだ。

その場所が西隣から全くの死角でもあったので、剪定ばさみと脚立を出してきて予定外の剪定を始めていた。

時期的には、この剪定は良くないような感じもしていたが、摘花の代わりにもなるだろうと強行していた。

  • 粉チーズなしでも、美味しい白菜と食パンのイタリア風スープができた!!~おやじの健康レシピ~

土曜日にTVのチャンネルを変えていた時、たまたま見ていた番組で白菜を使ったスープが紹介されていた。丁度、白菜が余っていたので、作り方のところは見れなかったので、ネットで調べて作っていた。

すると、材料には白菜、自家製食パン、自然農園産ニンニク、有機オリーブオイル、岩塩の他に粉チーズ使うようだった。

残念ながら、「アトムおやじ」っちには乳製品はないので、粉チーズ抜きとなっていた。

そんなことから、少し物足りなさがあったが、十分に美味しいスープが出来た。

全く調味料を入れてないのでガツンとしたものではないが、やさしい健康スープという感じだ。

胡椒さえも使わずに作っていたのも珍しいことだが、丁度、塩加減も良かったようで、白菜にニンニクで炒めた食パンがアクセントを添えていて、十分に美味しい白砂のスープを堪能させてもらった。

ただ、その時、塩の入れすぎは禁物のようにも感じていた。