「アトムおやじ」の自然農園~自然と遊ぶ~

自然農法研究農園を中心に、天然生活を楽しみながら、いろんなことを妄想していきます。

自然農園は見捨ててはいなかった!?~自然農園~

2020-12-14 21:24:00 | 自然農園

今朝も寝坊してしまった。

9時前には少し明るくなってきたが、起きたときには外は曇っていてウッドデッキには点々と雨粒の跡が残っていた。

今日から本格的な寒波がやって来ると言うが、然程の冷え込みは感じられなかった。

で、天氣予報を確認すると、明日の方が天氣が良さそうだった。

水曜日は歯医者を予約しており、ネットのルーターなどの撤去工事の予定もはいっているので、自然農園は休むことから、明日、行くことにしていた。

で、今日は自然農園を休んで部屋の片付けに専念することを決めこんでいた。

漸く、悩んでいた予定が決まったので、ソファーに座って氣圧の傾向を見ようと、氣圧が測れる当てにならない温度計を見ると、日にちが13日で曜日が分からない表示になっていた。

さらに、月の満ち欠けを表示してくれるデジタルカレンダーも日にちがくるっていた。

これは太陽フレアの太陽風の影響だと思っていた。

そして、そろころには季節風も感じられるほどは吹いてなくて、どんどん天氣が良くくる感じだった。

で、10時半ごろにはサンゲイジングを始めていたが、季節風も吹き始めていた。

暫くすると、頻繁に雲が流れて来て日様を隠すことが多くなってきた。

そうした流れてくる雲は、今日もお日様を避けてくれると思ったが、そうはいかなくて何時もの半分でサンゲイジングを止めていた。

何れにせよ、自然農園の休みを決めたので、「今ここ」に集中することだと。

で、物が多くて中々片付かない部屋を片付けることにしたので、土曜日の自然農園の様子を書き留めておくことにした。

  • 自然農園は見捨ててはいなかった!?~自然農園~

その日は、米を貰って直ぐに帰ってくるくらいの氣持ちで自然農園に行っていた。

先ず、道路の落ち葉の回収をしてから、持って帰る灰とニンニクを忘れないよう車に積んで、自然畑に行った。

何も考えていなかったが、前日に買っていたハンドシャベルの柄に烙印を押していた。

そして、日野菜を間引いていて帰ろうとしていた。

すると、西隣りが留守のようだったので、自然畑の入口の駐車場の落ち葉の有効活用をしようと思った。

それでも、中々、決断出来ないでいたが、西隣が戻って来たらどうしようとか、未現実のことを心配しても仕方ないだろうと漸く取りかかっていた。

ハウス跡やキウイと葡萄の棚のところの根元に敷き詰めたていた。

落ち葉が沢山たまっている入口の駐車場とハウス跡などを10回ほど往復して落葉を運んだ。真冬だというのに、汗が出るほどでもあった。

何とかハウス跡に落ち葉の絨毯を敷き詰めることが出来た。

何回も往復している途中で、黄金柑が沢山なっているに氣が付いた。

この場所は、西隣の真横にあたるので、まず通らないところでもあり、そんなことから彼方此方観ずにと通っていたので、中々、氣付かなかったようだ。

この黄金柑の木は今年でなり始めて2、3年目だが、こんなに沢山生っていたので感激していた。

というのも、柑橘類エリアの黄金柑は、大玉金柑が塩害でダメになったこともあって、相当のストレスを感じていたことから、全く生らなかったと思っていたので、今年は黄金柑にありつけないと諦めていた。

こう考えると、片方が駄目でももう片方が何とかしてくれていたことになる。自然農園も作り主を見捨ててはいなかったと感じていた。感謝感謝だ。

で、この貴重な黄金柑を守ろうと帰り際にトレイルカメラをセットして帰ってきた。

そして、帰りには貰ってきた米を精米し、帰ってからも自然庭園のりんごの木の根元に持って帰ってきた灰を撒いていた。

未だ、実を付けたことのないりんごの木なので、カミキリムシなどには侵されていないことから元氣に育ってくれている。

  • 「神さまにお任せ」に納得させられていた!~真の自分に繋がるために~

で、今日は「今ここ」が大事だと思っていた所に、ネットで「神さまにお任せ」というタイトルのブログを見ていた。

以前の「アトムおやじ」なら素通りしているところだが、この神さまは真の自分であるというのが理解できていたので、読んでいると判り易くて納得できたと感激していた。

そもそも、この牢獄星で地球人類は全て生まれてきたときに決めていた目的がある。

その目的は、生きているうちに明かされることはないようなのだが、「神さまの流れに任せ」ていれば自然に達成されるようになっているという。

で、『今居る場所、環境、状態で満足し、感謝していれば、全てはうまく回るようにできています。それこそが、「置かれた場所で咲きなさい」と仰る神さまに、感謝をこめて報いる方法です。』と、判り易く説明されていた。

正に「今ここ」をどう過ごすかだと!