獣医師インディ・ヤスの冒険!

家畜伝染病と格闘する獣医師インディ・ヤスさんのブログです。インディ・ヤスさんはロシア・東欧のオタクでもあります。

カティンの森の悲劇が再発!

2010-04-12 00:28:50 | 国際・政治

  先々週末から先週の始めにかけて休暇を取ってヴィクトリアとサーシャに会いに行って来た。1か月以上前に上司の了解は取っていたものの、いざ休暇を申請すると、年度移行の不安定の時期でもあり渋い顔をされた。実は、当初、ゴールデンウイークを利用することにしていたが、航空券の手配が遅れたため予約が取れず、また、4月、5月の他の週末では、仕事の関係で遠方に出かけることが無理だった。強行軍ではあったが、ヴィクトリアとサーシャに会えて良かった。ただ、この話は別の機会に回すことにする。

 今日の新聞(読売尾新聞英字版)にポーランドの政府専用機ツポレフ154型機がロシアのスモレンスク郊外で墜落、カチンスキ大統領を含む乗客乗員全員死亡との記事があった。その記事によると、この飛行機にはカチンスキ大統領らポーランド政府関係者、ガゴール将軍らポーランド軍首脳、シュクルジペック中央銀行総裁など計88人と乗員8人の合計96人が搭乗していたとある。ポーランド国民にとって大変な悲劇であり、ポーランド政府にとっても大変な損失である。彼らは、カティンの森事件の70年目の追悼式典に参加するため、スモレンスクに訪れたそうだ。

 ナチスドイツとソ連は、1939年、独ソ不可侵条約を結んだ。その条約の発表された内容では両国が互いにいかなる侵略行為は行わない、というものであった。しかし、その中にポーランドをナチスドイツとソ連で分割して占領するというとんでもない密約が含まれていた。本条約が結ばれた後、ソ連赤軍はバルト3国とポーランド東部に侵入、直ちに各国の軍将校を連行してソ連に連れ去った。ポーランドでは、二十数万人の軍や警察の関係者が連行され、その多くがソ連秘密警察により殺害されたという。

 スモレンスク郊外でも数千人のポーランド軍将校が銃殺され埋められた。1943年2月、この地を占領していたナチスドイツは、スモレンスク郊外のカティンの森の近くで夥しい数、少なくとも6,000人以上のポーランド軍将校の死体が埋められていることを発見し、ソ連による仕業として世界に伝えた。この情報は、当時、第二次大戦中であったことからアメリカやイギリスなど連合国からは無視されたが、戦後、それが事実であったことが確認された。ただ、ソ連は戦中戦後を通して一貫してその関与を否定し、その犯人はナチスドイツと言い続けた。

1985年、ソ連にゴルバチョフ政権が現れ、彼の提唱したペレストロイカとグラスノスチにより歴史の見直しが行われた。そして、1990年になりソ連はようやくこの事件がソ連秘密警察によって行われたことを認め、ポーランドに謝罪した。以上の経緯は、ロシア・東欧のマニアであれば誰だって知っていることであるが。

今回の飛行機墜落でポーランドはまたしても多くの犠牲者を出した。政府、中央銀行、軍など国の根幹部に関わる多くの人材を一度に失ったのである。しかも、この悲劇は、カティンの森事件の追悼式典に参加するために起こったという信じられないほどの強い因果関係である。これは、正に“第二のカティンの森事件”と呼ぶべきであろう。