今年は宮崎県で口蹄疫が猛威をふるっている最中にゴールデンウイークを迎えた。宮崎県では我々獣医師の仲間が大変な仕事をしている。できれば小生も手伝いに参加したいところであるが、民間企業で禄をもらっている身では如何せん儘ならない。仕方がないので、インターネットで口蹄疫の情報を取りながら、今年のゴールデンウイークは読みかけの本を読んで過ごすことにした。山川出版社から出ている“ポーランド・ウクライナ・バルト史”である。
先に、1939年ナチスドイツとソ連によりポーランドは分割され、そのために起こったカティンの森事件のことを書いた。このことだけを見れば、ナチスドイツとソ連は憎むべき相手である。しかし、上にあげた本を読むとその背景が詳しく書かれていた。
ポーランドが分割されたのは1939年だけではでない。18世紀にプロイセン王国、オーストリア帝国、ロシア帝国により3回に渡って分割され、1795年に完全にヨーロッパの地図からポーランドは消えた。
フランス革命後、ナポレオンがヨーロッパ各地を侵略して混乱を巻き起こし、その結果、ポーランドの一部はワルシャワ公国として復活した。しかし、ナポレオン失脚後に開かれたウイーン会議では、3国によるポーランド支配は復活し、ポーランドの悲願は成らなかった。
それから時は過ぎて、1914年に第一次世界大戦が勃発、ヨーロッパ全土に渡ってフランス、ロシア、英国の協商側とドイツ(プロセイン発展型帝国)、オーストリアの同盟側との激しい戦争が繰り広げられた。第一次大戦の結果、ポーランドを分割して支配していたドイツ、オーストリア、ロシアのいずれの帝国も滅び、結果として1918年ポーランドは独立を掴んだ。
問題は悲願の独立を達成した後に起こった。3つの帝国の支配された地方は、百数十年間、それぞれ行政、社会制度、教育など多くのシステムが異なっており、それらがすぐに一つになるには大変は困難を伴った。そこで、独立闘争の英雄でポーランド人に絶大な人気があったユゼフ・ピウスツキが初代国家主席兼軍最高司令官、さらに初代大統領に選ばれた。ピウスツキの一派は彼の人気で3地方の融合を一気図るつもりであった。
しかし、そう単純には行かなかった。英雄ピウスツキ、人気は高かったものの、政治家としての能力は低かった。政治的な困難にぶつかると政権を投げ出し、後を引き継いだ者の政策が自分に不利になるとクーデターを起こして政権を奪取することを繰り返した。彼は、大統領を退いても軍最高司令官は誰にも渡さず、国民も彼の行動を支持した。すなわち、ポーランドは長年の悲願であった独立を掴んだが、国のリーダーを選び間違えて混乱の極みに陥っていた。
そんなポーランドを見ながら冷酷な野心を抱いた二人の男がいた。アドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンである。この二人の密命を受けたナチス・ドイツ外相リッペントロップとソ連外相モロトフは独ソ不可侵条約を締結、さらに秘密協定が結ばれ、再びポーランドは消滅した。
翻って、現在の日本はどうであろう。昨年8月の衆議院選挙で民主党が圧勝し、政権が変わったが、鳩山政権が一体何をしたいのか、さっぱり解らない。脱官僚支配を唱えて官僚をいじめ行ったため、霞が関の官僚からは総スカンをくらい、事業仕分けというパーフォーマンスで日本産業の未来の主役の芽を摘み取り、沖縄の普天間基地の移設問題では9分通り決まっていたものをひっくり返して同盟国アメリカとの関係を悪化させた。小生には、今の日本がかつてのポーランドに似ている気がしてならない。日本の混乱を見ながら近所の大国が冷酷な野心を持たないと良いのだが。