海外旅行はもう今や先進国でも安全では無い!
不穏な動きが世界各所の観光地で起きています、
そこで小社では、
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もし現地で不測の事態に巻き込まそうに成ったなら
アメリカ大使館に助けを求めて逃げ込んで下さいとアドバイスしています。
アメリカ大使館には屈強な海兵隊員が駐屯している!
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『なぜ、日本は救援機を出さなかったか?その真実を知る』
1985年3月19日、テヘランから私を含む215人の日本人を
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救出したのが、トルコ航空だった事から、なぜ日本が救援機を出さなかったのかについて暫くの間論議が有りました。ここに、1985年4月3日の参議院会議録情報 第102回国会 外務委員会 第4号と、2007年10月28日中近東文化センターで行われた、シンポジウムでの関係者の発言内容を紹介します。この二つの議事録を比較熟読する事で何が真実だったのかが読み取れると思います。
詳しくは
ココ
【結論】
この議事録から明らかなように、
日本政府、外務省は全く現地の状況を把握していなく、
嘘八百を並べたいい訳の答弁を繰り返していることが良く判ります。
そして、マスコミもまた外務省の言い訳けの答弁を鵜呑みにして報道していただけなのです。
全く腹立たしくも、情けない日本側の対応がよく判ります。
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これが真実です。。
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なかなか終わらないイラン・イラク戦争に対し、当時「イライラ戦争」と呼ばれた。
両国の都市爆撃の応酬が続く最中の1985年3月17日、48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は、無差別に攻撃するとサッダーム・フセイン大統領が突如宣言した。
この宣言後、イランに住む日本人以外の外国人はおのおの自らの国の航空会社や軍の輸送機によって順次イランから脱出していった。
ところが、日本においてはそうではなかった。ただちに日本航空にチャーター便の派遣を依頼したのだが、
日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、
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組合員の安全が保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶した。その間、在イラン日本大使館では手を尽くして救援機を派遣した各国と交渉したものの、いずれの国も自国民救出に手一杯であり、希望者全てを乗せてもらうことは到底かなわず、いまだ200名を超えるイラン在留邦人が全く脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕する状況にあった。(同年8月12日の日本航空123便墜落事故で亡くなった海上自衛隊出身の高濱雅巳機長は、真っ先に救援便の運行乗務員に志願していたと言われている。)
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この後、「日本航空には二度と乗らん」と言う顧客がたくさん増えた!
この後、「日本政府は信じられん」言う顧客が増えた!
情けない本当にあきまん日本国在外公館〓外務省〓日本国政府 、日本航空 金玉付いてないと思う!
まぁ~昭和20年8月15日にアメリカに金玉ぬかれてしもうたからしょうおまへん!
頼りはアメリカです、
しかし最も 肝心なのはご自身です! 何とはなしでも危険かなと感じる嗅覚が大切です!