そろそろ10月も終わり。
アナベルの葉っぱが紅葉していた。
夜、蛍光灯の光で撮った写真
こっちの方が葉っぱの色がきれい
赤い花は撮るのが難しいけど、プラス補正して
マクロで撮ったらまあまあ・・・かな
ピンクのゼラニウムもきれい
11月になって、霜が降りるまで楽しめそう。
一人の日曜日、予想外に朝からいいお天気で気持ちいい
そろそろ10月も終わり。
アナベルの葉っぱが紅葉していた。
夜、蛍光灯の光で撮った写真
こっちの方が葉っぱの色がきれい
赤い花は撮るのが難しいけど、プラス補正して
マクロで撮ったらまあまあ・・・かな
ピンクのゼラニウムもきれい
11月になって、霜が降りるまで楽しめそう。
一人の日曜日、予想外に朝からいいお天気で気持ちいい
今日から10月、いよいよ秋本番ですね
つぼみだったシュウメイギクが咲き出しました。
アメリカンブルーも咲いている。この蒼い色に癒されます
そして、読書の秋
今日、曽野綾子の「晩年の美学を求めて」を読み終えました。
とても感銘したので、最後の締めくくりの文章を、まだ晩年ではないけれど
こんな風に晩年を迎えられたら・・・と思い、書き留めておきます。
人はいい事だけをするのではない。いい事だけをしようとしても無理だ。時にはわるいこともする。
と考えればあまり追いつめられた気分にならなくて済む。人間の優しさもいろいろな形を取る。
人間の残酷さも表現はさまざまだ。そのからくりを死の前に知って私は大人になって死にたい。
それゆえにこそ、簡単に人を非難せず、自分の考えだけが正しいと思わず、短い時間に答えを
出そうとは思わず、絶望もせず落胆もせず、地球がユートピアになる日があるなどとは決して信じず、
ただこの壮大な矛盾に満ちた人間の生涯を、実に面白かった、と言って死にたいと思う。
深い迷いの中で、とりあえず自分の好みに近い人生を送れたとしたら、それは世界的レベルに
おいても法外な成功だったのだから。もし迷いもなく、簡単に目的に到達してしまっていたら、
私はもう生きる目的を失っていたのだ。しかしそうでなかったからこそ、どうにかこんな長い年月、
生きてこられた。この矛盾さえ深い哲学的意味を持って、私に優しかった。
次の世代に言い残すことなど何もない。どの時代も、若者たちは自分で迷い、
自分でどうやら答えを出す。残すとしたら知恵と技術と徳の本質そのものを残す事しかない。