大河ドラマ「篤姫」を毎回涙しながら見ています。
少女時代から主人公の動向を親ごころで見てしまいます。
早くから親元を離れ、藩の頭首の元へ養子となり、果ては江戸幕府の将軍の妻となる。
幾多の困難を乗り越えていく篤姫。
彼女を支えるのは両親にもらった愛情と教えです。
母の言葉で印象的なものがふたつ。
「一方聞いて沙汰するな。」
「迷ったときはあれこれ考えず、自分のこころに聞いてみる。」
このようなもの。
家を離れれば、今のように電話があるわけでもなし、立場上、手紙のやりとりもままならず、もう親とは会えないような境遇。
ましてや類まれなる運命を切り抜けて行かねばならない。
それを両親の愛がずっと支えているんだと思うと、いかに幼少期の関わりが大切かと思います。
逆に言うと、しっかり愛情を注いで、伝えれば、あとは子どもは自分の力を信じてやっていけるんだと。
素直に、自分に正直であること。
物事の見方に偏りがないように。
そんな両親の育て方によって、篤姫は通例とか一般的とかいうやり方ではなく、自分の正しいと思う方法で時に周囲は驚かされながらも心を打たれ、運命を切り開いて行く。
篤姫とは全然違いますが、ふと自分のあり方についても考えさせられます。
私はうまくその場を取り繕うということができないタイプです。
「こう言っておけばいい」「こうしない方がいい」というやり方がうまくできないのです。
利害で動くことより自分に正直であることが誠実だと思って育ったので、周囲の様子を考えることをしてこなかったのでしょう。
だから、よくも悪くも他人の考えていることに疎くて、微妙に空気が読めないんだと思います
かつて自分と似ているタイプの上司が周りのことが読めないでむちゃくちゃだったのを見て、「周りがわからないってことはいかに愚かで他人に迷惑がかかり、労力がかかるものか・・・。」と実感しました。
その上司とは自分を隠せない同士だったので、無駄な衝突も絶えず、ほとほと疲れました
そんな経験もあって、空気が読める夫と出会って、結婚したところもあります。
そして、職場のことや、ママ友のつき合いなど、いろいろ相談して客観的に状況を判断しながらやっているつもりです。
いつも「なるほどな」と、自分の状況もよくわかるし結論も出やすいです。
とてもありがたいことです。
ただ、最近はちょっと別のことも考えるようになってきました。
夫のアドバイスを聞いて物事を進めると、大抵の場合は穏便に丸く収まることが多いのですが、それでも問題が生じたとき、最後の最後に決定打が出せなくなることがあります。
例えば、ずっとオブラートで包んだ言動をしてきた人が急に率直にストレートにものを言うというのはどこかつじつまが合わなくなったり。
オブラートタイプの人はその人なりに状況を見ながら、自分が王手をかけたいときにビシッと万全の態勢で勝負するんだと思います。
それまでじっとこらえたり様子を伺ったりしているんだと思います。
でも、私の場合は、元々直球勝負なので、2アウト満塁の追い込まれた状況になってカーブで勝負してもストライクは取れないんですよね。
怖くてもダメで元々でも、自分本来の勝負球、ストレートで行かないと自分の力は発揮できない。
直球が好きなのにカーブで負けると、なんだかモヤモヤした気持ちが残ります。
このごろそんな気がしてきました。
直球勝負は打たれやすいし、危険もいっぱいです。
でも、それはその本人の請け負うべき人生の教訓なんだと思います。
(長くなりますが、)この前、よい例がありました。
医者私のやりとりです。
いっちゃんが熱を出し、うさぎの幸ちゃんが体調を崩し、私も風邪にやられ、三者それぞれ医者にかかりました。
いっちゃんが医者にかかって、一週間たったころに直らず熱が出て、また受診しました。
2回行って薬をもらったわけです。
初めは抗生物質をもらったのに、次はもらわなかった。
私が薬剤師に聞いたのはこれ。
「抗生物質と体が戦って出る熱、この2つの対象は同じですか?」
薬剤師さんは一生懸命返答してくれましたが、いま一つ私にはわかりませんでした。
前に製薬会社の営業をしていて医者とさんざんつき合っていた夫は「あんまりそんなこと聞かない方がいいよ。医者のやり方を信頼してないように思われるから。」と言いました。
私はそういう意味ではなく、ただそのメカニズムが知りたかっただけで他意はなかったのです。
「そうか、そんなもんか・・・。」と、理解できないままで終わりました。
その後、幸ちゃんの医者で初めて院長先生に診てもらったときも、なんだか素人が勝手に判断したような中途半端な印象を与える発言をしてしまい、院長先生はちょっと怖い口調になりました。
でも、そのときの先生のお話は厳しいながらも納得できました。
「まずい」発言をしてしまったけど、自分なりに勉強になることもあったのです。
そして、最後は私の受診。
なかなかよくならない体調に夫が夜間病院へ連れて行ってくれました。
なぜかその日はとても空いていて、一見神経質そうな先生が、意外と笑顔が人情味のある方で、たまたま薬の処方の件で抗生物質やウィルス、免疫の話を簡単にしてくれました。
「まさに私の聞きたかったのは、それだ!」
と思った私は空いていたこともあり、ちょっと突っ込んで先生に質問してみました。
大雑把に言うと、ウィルスは遺伝に関わる部分のことで抗生物質は効かない、バイ菌に対して抗生物質は効く、免疫はその両方に関わる・・・というもの。
「夫にはそんなことは医者に聞くなと言われました・・・。」と自嘲ぎみに言うと、先生と看護婦さんは「そんなことないですよ」と言ってくれました。
これが私と夫の違いです。
私は悪意がなくても生意気だとか、時には批判してるように取られたりして危険だけど、時々厚意に出会えたり、理解できて得るものがあったりする。
(実際、幸ちゃんを連れて2回目に行った夫は非常に和やかに院長先生とお話しして帰ってきました。)
最近はこれでいいんじゃないかと思うようになりました。
自分の生き方は自分で傷を負ってその傷口から学ばなければ、結局自分の本当の理解、体得にはならないのかも、と。
凸凹はあるほど道中も大変だけど、その分成長できることもあろう、と。
レベルの違いは大きいけど、失敗もしたり、意外に大胆な言動に味方を得たりする篤姫を見ていて、その人なりの歩みがその人の人生を作るんだと思えました。
周囲への配慮もしながら、自分らしい歩みをして行けたらと思います。
でも、きっと最後の勝負はオブラート派もストレート派も「自分の本当のこころから出た言葉」によって人のこころを動かせるんだと思います。
病気が治った後のいっちゃんは0歳児時代のように穏やかです。
おやじギャグや、スーパーの「ヤングマン」に反応してエレベーターで一人踊ってるお母さんを見て、前はちょっとあきれぎみだったいっちゃんも「うちのお母さん、これが出てるときは平和なんだよな。これも平和の証、ほほえましいね」とでも思ってるかのようににこやかです
かつてなく大変だったけど、いろいろと得るものもあったみんなのダウンでした
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でも、いろいろと得られて良いこともあったのですね。
物事はなんでもそうですね。自分に好ましくない事も
後で、あれはあれで、私に必要だったと思えてきますね。
篤姫は、あの若さで素晴らしく大きな器の人だったのですね。
ドラマでは最近は哀しい表情が多くて、痛々しい感じです。
「篤姫」や家定公は実際はどんな人だったのか、ドラマはどれぐらい脚色がついてるのか、とても気になります。
でも、うそでも感動できるものがつくれるのもまたよし、それに感動するのもまたよし、なのかなと思って見ております。
歴史の教科書にもあまり出てこないような人たちなのかもしれませんが、同じ女性だからか、私には有名人物以上に魅力的です
ウッシーさんのように小説も読みたいです