2才になる前後、言葉の出始め、言いたいことがうまく言えずにイライラしていたのか、いっちゃんは本当に暴れん坊でした
自分の乗るブーブさえ、持ち上げて投げつける(力持ち・・・)ぐらいすごくて、ミニカーも毎日床に投げつけるので、フローリングには傷がたくさんできました
ところが、私が夏風邪をひいて回復したあたりから、そのうれしさでとっても情緒が安定してるなと思っていたのですが、それからずーっととても穏やかになりました。
赤ちゃん時代の温和ないっちゃんに戻ったようです。
夏の帰省でいとこのゆきちゃんから遊びや言葉をたくさん教わって、さらに成長!
トイレにも行けるようになって、また新しい自立の段階に入ってきたのでしょうか
日本語教師として見ると、「みんなの日本語」という初級の本がありますが、初級のⅡのレベルがだいたいマスターできてるようです。
チョコレート、くるま、などの具象物から「○○するヤツ」とか「○○なモノ」とか、抽象語も使えるようになって、さらにお話しは進められる手段を得たようです。
もう、具体的な物がなくても、架空の物を思い描いてごっこ遊びができるようになって、子どもの想像力を発揮する時期に入ってきました
(おもちゃもあんまり要らなくなるかな)
テレビの影響、物のあふれる時代、子どもたちは本当におませさんになって行きますね。
テレビから覚える言葉も多くて、かしこくなってるようにも思いますが、小さいうちは、本物でないメディアの情報は少ない方がいいようですね。
赤ちゃん時代は人間の聴覚も一番発達しているそうで、音によって認識していくことはとても多いようです。
猫がニャーンと鳴いた・・・この声を持ってるものは引っかかれると大変だ、とか、お母さんがやさしい声で話しかけてくれるとうれしい、とか、ピンポンと鳴ると誰かが来るとか・・・。
そうやって状況やものを理解していくことに注意を向けているのに、四六時中テレビがついていると、大音量なのに何の反応もなくて、だんだん音に対して鈍感になって双方向のやりとりをしなくなる、ひとつの能力が鈍化していくそうです。
それから、おもちゃ。
これも、いろんな電気の細工があるおもちゃがあって、大人でも目を見張ることがありますが、おもちゃもなるべくよくできてないものがいいそうですね。
完成度の高いものは想像力が働かないようで。
だから、石ころとか、葉っぱとか、積木とか、何にでも変身させられるようなもので遊んでるといいそうです。
そうやって遊ばないと、創造性が鈍くなって、絵を描かせても豊かな表現は出てこないとのこと。
「自分たちの幼稚園時代の絵と見比べてみたら、娘の絵はぜんぜん幼稚!」と、クリエイティブなお仕事をしているお母さんが言ってました。
なんでもある時代だといろんな影響を受けてよい刺激になるかと思いきや、ないほどいいんだということを思わされて、意外な気もします。
このふたつの話は、座談会でご一緒したお母さんと、たまたま公園で会って話したお母さんから聞いた話です。
偶然居合わせた人からこんなによいお話が聞けるとは、ママ生活もありがたいものです
犬も歩けば棒に当たる・・・という感じ?
そんなこんなで、子どもが子どもらしい遊びをしているのを見るのは、本当にうれしいものです。
ご近所の知ってる子どもたちも、幼稚園の帰り、何の道具も持たずにずーっと「○○ごっこ」をして遊んでいました。
「ごっこ遊び」は社会性を学ぶ練習みたいなもので、とっても大事らしいですね。
母親としては、延々、車遊びにつき合うのはちょっと苦痛なときもありますが、意外とブーブを使ってただのおままごとをしてることもあって、これも大事なんだろうなと思いなおして遊んだりしてます。
自分も通ってきた道なんだろうけど、子どもが成長して行く過程を見るのは、楽しいし、新鮮な驚きがありますね。
赤ちゃんだったいっちゃんが、架空の遊びまでできるようになるとは・・・、考えもしませんでした。
写真は、よくわからないけど、ピンクのボールが「花火」だそうで、なぜか花火に授乳用クッションをかぶせるのだそうで・・・
「お母さん、花火、見よう~!」と言われて、見てました
だんだんと目の前に実物がなくても、お話しだけで時が過ごせるようになってくるんですね・・・
だんだんいろんなものから自由になって、心の世界で遊べる・・・
心も自由に自分の考えが持てる・・・
目に見えないいっちゃんの心を、いい方向へ向けて行けるように後方支援をする・・・
大変でもあり、楽しい親の務めですね
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