二日酔いを意味する英語の「はんぐおーば(a hangover)」
まあ“酔っ払い”の言うこと。by.NA-094
はんぐおーば
4月は、ウソもバカ。:どうせバカなら飲めるヤツがいい。

以前にも記したけど。
エイプリルフールのウソは、当日中にバラさないといけないのが、ルール。
ウソも方便とは言うもので、ウソなら、まだ笑えるときもあり。
バカともなれば、手に負えなくなるときもある(逆かな?)。
さて、所謂(いわゆる)大人の事情というもので…。
生活の糧を得るためにしていたことは、
社会への貢献にもなっていない…と、実感するのはツラいところ。
もちろん社会が無条件で、自分の存在意義を、
認めてくれないのは分かっている。
とくに誇れるほどの学位や教養もなく、社会性も高くない。
それを卑下する気はないが、自慢できるものではない。
だから、自分は常識的でない人間だとも分かっている。
それも“常識外れ”なのではなく、
ただの“非常識”でしかないのだとも分かっていた。
それでも・・・。
「自分は良心に従って生きている」
「正しいものを知っている」という“思い上がり” が…、
どこかにあったのだろうか?
自分の感情を、言葉に置き換えたとき、見えるものもあり。
自分のウソに気付かされるようなときもある。
もちろん、ある程度は覚悟していたところだけど、ね。

そんな気分で、飲めよ、飲むな…と、もう一杯。
調子に乗って、また次の店。
酒のつまみにと、ウワサ話に仕事のグチ。
どれも尾ひれがついて、大盛り上がり…と思えば、
いつの間にか、重い雰囲気。
※もちろんコロナ過では、はしご酒などダメ!(途中から創作なのです。)
・・・などと、ネガティブな切り出しとなりましたけど。
要は(実は!)、飲んだくれたくなるような心境だということ。

「昼間から、酔っ払いが飲んだくれている店」
…という印象を与えるのは悪いから、もう少ししてから行ってみるかな?
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LINEアプリを削除:アカウントは残しておくけど、ね。

数日前、LINEが傘下にある韓国の大手IT企業のサーバーに、
データーを保管していることが、ニュース報道されたこともあり。
本日(3月24日)、スマートフォンからLINEアプリを削除した。
IT系の企業に限らず、顧客層のニーズを得られるかは、
企業が成長していくカギとなるだけに悩ましいところだけど。
LINEは、スマートフォン用のコミュニケーション通話アプリとして、
多くの日本人利用者を獲得してきており。
大きく急成長してきたIT系の企業。
コミュニケーション用のアプリとして、安定した機能をもつLINEだが、
スマートフォンで利用していれば、常時、ログイン状態であり。
電源を切るか、アプリを削除する以外にログアウトする手段がなく。
LINEのサーバーが日本国内でなく半島にあったことが、
ニュース報道される前から、LINEのアプリ削除は考えていたこと。
アプリを削除したとは言え、アカウントを抹消した訳でなく、
今後も、PCなどでは利用できる。
しかし、他に電子端末を所有していない人たちは、
このようなとき不安になるかも知れない。

(これは以前の記事での画像:スマートフォン上でのLINE画面)
ちなみに、LINEを、スマートフォンで利用していれば、
常時ログイン状態であることから、
利用者の中には、自分で登録したであろうパスワードすら、
覚えていない人までいる。
スマートフォンの普及率が増えることは、必ずしも喜ばしいことではなく。
ユーザーが、自身のアカウントやパスワードを把握していないことが、
どれだけ危険かを分かっていない人の多さにも驚いてしまう。
それにしても、LINEとPayPayとの統合後のタイミングで
発覚したのは、どこか意図的な情報操作にも思えるけど。
何かしらの“ウラ”でもあったのだろうか?
それとも、頭の悪いヤツが、トンチキなマネをしただけかな?

(個人的事情から、実際の投稿日(3月24日)より3日ズラしています。)
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“ぼっち飲み”と、東京緊急事態宣言解除と…。

自分の中から、しぼり出したような言葉でさえ、
他人(誰か)の受け売りでなく、
完全なオリジナルと呼べるものには、遠い。
そんなことは、一度や二度でもなく、今更とも言えること。
だけど、開き直って、冗談として笑い飛ばせもしない。
こんなときは、飲みにいきたくなる…。
“連れ”もなく、一人で飲んだくれることを、
“ぼっち飲み”とも言うことを、最近、知ったけど。
そんな言葉が用いられる前から、
一人飲み(ぼっち飲み)が染みついている身には、
(3月22日の)緊急事態宣言の解除はウレしくもあり、悩ましくもなる。

画像は、お馴染みのインドカレー店(ソウルフードインディア⇒)
最近、街角で飲んだくれているオジさんたちを見かける。
仕事場の仲間同士と思われ、飲食店が営業してないことから、
どこかで買い込んできた缶ビールで盛り上がっている。
春先で浮かれたくもなるが、
別に、コロナ過の危機が去ったわけでもなく。
これでは飲食店への制限など意味もない。
もちろん、会社員や男性だけの話でもなく。
街中を、妙に響き渡る声が、会話や考えを阻害することも少なくなく。
気分が、ささくれ立ってしまうときまである。
この状況で、浮かれた気分になれる人間の脳ミソは、
何色なのかと疑いたくもなる。

ちょっと悪酔いしそうだな。
1~2杯だけにしておくかな。
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さらば、寒空小人。

ある意味、このような会社は悪くないかも知れない。
何故なら、エラい人に認められてしまえば、やりたい放題。
しかも、ウルさいヤツを遠ざけてしまえば、あとは静かなもの。
事実が発覚しても、反省文さえ書けば、
違約金と慰謝料の一部を負担するだけで解雇されることもなく。
閑職となったもの、そのまま定年まで居座れる。
契約先や巻き添えとなった人間たちは、
こんな会社に関わるのが悪いのであって、それは自己責任というもの。
…とは、誰も言葉にしていないもの。
これは、シロアリのような害虫人間の思考。
本社の人間たちには、親会社と顧客との間で関わるだけの業務は、
負担や責任が少なく、ラクにも見えたのだろうか?
それは、Noだった。
準備が足りないまま、安易な介入を親会社から受ければ、
職場内での発言力が弱くなり。
責任の所在や判断に割かれる時間のロスも大きかった。
本社が、現場サイドの仕事を理解できないのは、
単純に、本社の怠慢でしかなかった。

(画像は、JR東日本、東京駅八重洲側)
自分の行動や責任を考えていくのがツラいのは、誰もが一緒。
だから、ルーチンワークに任せたまま、
会社(職場)の利益や信頼など考えもしない人間は、恐ろしく多い。
そんな空間で、何年、何十年もいれば、
何かが失せていることも感じられなくなっていく。
(それにルーチンワークは、成功例を模倣したものでしかない。)
自分たちの会社が工業製品のように、
このような人材を生み出しているのだとしたら、
その商標には「バカ」としかつけようがなく。
手づくりの“ぬくもり”など失せている。
もちろん、これは誰かに聞いた話でも、人づてに聞いたウワサ話でもなく。
ネット上から、かき集めたような話でもない。

AI(電子人工知能)の技術が発展していく未来社会では、
あらゆる機器、機械、建築物なども知性を持つのだろうか?
そのような社会を、自分の考えすら持たない人類が支配するなど…。
もはやSFでもホラーでもなく、タチの悪いコメディでしかない。
それに、今後、このカテゴリー「寒空小人」には、
記事をアップしていく気にもなれない。
だから、オチが必要かな?
「常識で考えれば分かるだろう!」とかヌカして、この始末!!
ついでに、お前ら、まとめて…、
「今度、会ったら、顔に、油性ペンで落書きだぁ!!」

(本当に…)蛇足:
職場で居眠りしている同僚(上司)がいます。
油性ペンで、顔にラクガキしても、よろしいでしょうか?
⇒ (NAは…)法律に詳しくありませんが、
職場の休憩用スペースで、仮眠時間や休憩時間において、
顔にラクガキすれば、傷害罪になるかも知れません。
しかし、常識的な就業状況下において、抵抗もせず、
顔にラクガキされる人間などは考えられないこと。
他の同僚が働いている職場で敢えて、居眠りしているのなら、
“挑発行為:ハラスメント”だったとも言え、
その抵抗ともなれば、相殺として扱われるのかな?
いずれにせよ。
無駄だと思われても、直属の上司に相談するべきかと思われます。
(説得力ないけど、ね:おしまい) ⇒ この記事の先頭へ!?

(2022年3月画像追加)
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小人たちの黄昏(亥):さらば寒空小人

自分が働いている職場が信じられなくても、
他にできる仕事もないから、働いている。
生活の為の仕事であり、仕事は生活の一部。
色々な事情を抱えているのが生活と言うものであり。
他人の生活より、自分の生活を優先したいと考えるのは、当たり前の感覚。
単に食い扶持を失いたくないだけで、
会社員の肩書きをもった物乞いみたいなヤツだっている。
別におかしな考え方でもない。
しかし、それも“程度”によっては変わってくる。
業界のルールや社風というほどでもないが、
同僚を密告(チックリ)するような行為は嫌われることもあり。
職場内での立ち位置は、微妙なものともなっていた。
不正の疑いがある同僚のことを、申告をしていた事実があるとは言え、
それが無視されてきたことを考えれば、納得できないものだった。
自分たちの勤めている会社の不始末を、自分たちでつけることもできず、
社外の人間に指摘されるなど、かなり情けないことであり。
どれほど大きな問題なのかを分かっていない人間も少なくなかった。
ちなみに、関連会社のメガネ社員とは会うこともなく。
この事業所の業務を外れ、別の事業所へと配属されたとは聞いている。
迷惑をかけてきたことへの、お詫びだけは一言、伝えたかった。

(画像は、JR東日本、東京駅八重洲口側)
1年後、転職先を見つけると、
10年以上勤務してきた会社を辞めることにした。
3カ月後、その転職先も辞め、別の会社に勤務している。
世界が、いつの間にかコロナショックとなり、
たいした仕事も出来ないまま、サエない日々を過ごしている。

自分には、何一つ、恥ずべきことはない。
そう思っているのに、何故、思い出すのだろうか?
恨んでいる。
憎んでいる。
怒っている。
どれも当たり前のこと。
それを時間が過ぎることで、 “じっくり”と実感している。
自分は、人生のフローチャート上において、何を間違えたのだろうか?
…と、考えたもの、答えが出てくる訳もない。
職場の就業環境が、最初からヒドかったという訳でもなく。
雇用条件や就業規則に問題があったとも思えない。
しかし、社内の評価制度は、かなり前から、オカしなところもあり。
社内の評価基準が疑わしいとなれば、そのまま自浄能力も失せ、
気がついてみれば、新しい人員を育てるだけの土壌も失われつつある。
2022年3月加筆追記:
“大人の対応”として、見ないフリをするには限度を超えてはいたもの。
関連会社の方たちは、(NAに)責任が及ばないようにと、部署移動直後でなく、
数週間の日時をあけてから、画像を送ったのは間違いなく。
その配慮には感謝しかない。
しかし、本社の役員たちには、その人間性は理解できないことでもあり。
“悪者さがし”をすることで、問題意識や責任から逃げ回り。
この件で、賞罰(ペナルティ)を受けた本社関係者は、
担当係長くらいしかいなかった。
現場長の不正を、真っ先に疑うべき立場にあったスケジュール担当や、
その人間性を疑うべき人事部の人員には、ペナルティもなく。
結局、社内の体質が改善されることもなかった。
被害者とも言える関連会社の方が、自分への配慮をしていたにもかかわらず、
自分の所属している会社が、それを“裏切っている”状況には、
ただ浅ましさ、と、情けなさしか感じられるものがなかった。
補足:
今回、レポートしようとしたキッカケは、ある転職サイトでの評価にある。
関連する過去の記事⇒「うちの事にかぎって…。:隠蔽しています!?」
そして、レポートしたことで思い知らされたこともある。
それは同じ組織社会(会社)であっても、
立場が変われば、考え方も変わるということ。
仕事の現場では、自分1人で、24時間、365日、働けない以上、
人材の育成は、大事な業務であり。
他人事では済まない話なのは、すでに記した。
しかし、本社のエラい人(役員職)の立場では、
会社のブランドイメージが傷つけば、自分の身も危うくなってしまう。
だから、名前も覚えていない部下の立場を考えることもなく、
なんとか体面や体裁だけでも整えようとする。
今さら、敬意を払う必要もない人物たちだけど。
組織社会のエラい人が、自己保身を重要な判断基準としているのだから、
会社としての成長は終わっていたとも言える。
組織社会のルールは、道義や倫理的なものだけではない。
だから、頭の悪い理想論で、
自分のモチベーションを支えても、意味がない。

サラリーマン社会に限らず、社会人には教養が必要だと思っている。
善悪の判断を、個々人にとって、都合よく解釈するのでなく、
良識で考えるべきだからだ。
しかし、教養を証明するハズの学位がありながら、非常識な人間はいる。
それも、かなり多く、本当にイヤになる。(続く⇒)

(2022年3月画像追加)
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