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フミオ(65才)の誤算:国騒(くにさわぎ)、そして、酷宗(“こくそう”ならぬ、酷(ヒド)い宗教)!

(前回の続き⇒)
明日、2022年9月27日、
安倍晋三、元首相の国葬(国葬儀)が行われる。

今回、国葬とされたのは…、
〇 憲政史上最長の在任期間
〇 経済や外交での功績
〇 各国で敬意や弔意が示されている
〇 選挙期間中に倒れた(殺害された)。
これらを考え、国葬(国葬儀)として扱うのが、
ふさわしい人物…となったと聞く。
あの事件の直後であれば、この判断に疑問は感じなかったと思う。
しかし、今、世界平和統一家庭連合(統一教会)との、
“つながり”が発覚していることを考えれば、
この全てを、“帳消し”とされても、不思議に思わない。




“あの人は、悪い人だったのだろうか?”という単純なものではないけど…、
本当は、弱い人だったのかも知れない“
世界の情勢や状況に、必ずしも恵まれていた訳でもなく。
1度は、政界を離れなければならないほどの事態にもなった。
同情したくもなる。
しかし、“自由”と“民主”を、名称としていた政党のトップにありながら、
有権者である国民を、裏切るような行為(マネ)をしてきたと知れば、
許せるハズもなく。
今は、国葬(国葬儀)に値しない人物ではないか?…と思っている。



あるテレビ番組より…。
昨年(2021年)の総裁選のとき、
岸田(現、総理大臣)さんは、自分のアピールポイントとして、
「聞く力」を言っているじゃないですか…だとしたら、
国民の声は、届いていないのかな?

…とあった。
これを聞いたとき、岸田文雄総理大臣(現在、65才)という人物について、
まるで関心をもっていなかったことに気付かされた。
先日も記したけど…、
“国葬というのは、国民が弔意を示して成立する”。
今回、岸田首相は、国民に強制はしない…とは語ったもの、
すでに国民の権利を侵害している状況にある。
(関連する過去の記事⇒「弔い合戦と、国葬:民意に非(あら)ず」)
自身も所属する政党の大物政治家が、
参院選の選挙期間中に殺害されるという大事件が起き、
その要因が、政党とカルト団体との“つながり”にあったという、
大スキャンダルを考えたとき。
そのダメージ回復を考え、参院選を、勝ち取り、
「国葬」という対応に出たことは、愚かだったとは思わない。
…とは言え、
“政治家は、聖人君子であれ!”などとは望んでいなくても、
自分たちの生活や社会にとって、害悪としかならない組織(団体)から、
支援を受け、お墨付きまで与えていたとなれば、許せなくなる。


今、世の仕組みのことで知りたいことは…。
「現職の総理大臣をリコール(解職請求)するには、どうしたらよいのか?」
…ということ。
そして、今、現職の総理大臣である岸田文雄(65才)さんに問いたいのは…、
2か月前、安倍晋三、元首相が殺害されたとき、
“弔い合戦”という言葉を用いており。
その弔い合戦の果てが、この“国葬(国葬儀)”であれば、
あなたは、“誰”を“”敵(かたき)“としていたのだろうか?
…といったところかな。



内閣の人員(大臣)まで、統一教会との“つながり”が発覚したにも関わらず、
大臣や統一教会に対して、思い切った処断が下せないということは、
もはや、この“つながり”を、岸田首相や自民党は、“断ち切れない”のだろう。
(続く⇒)
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国騒(くにさわぎ)、そして、酷宗(“こくそう”ならぬ、酷(ヒド)い宗教)!:カルト団体

(前回の続き⇒)
カルト団体(宗教カルトや政治カルト)に所属していた人間(信者)は、
そのカルトから抜け出せても、自身の居場所もなく。

結果として、元のカルトに戻ることもあれば、
別のカルト団体へと取り込まれることも少なくないとも聞く。
このことからも…、
「彼ら、“信者”も、犠牲者と言え、彼らにも、救済は必要なのです」
…という考え方は理解できる。

しかし、カルト団体に所属している信者たちは、
次の被害者(信者)を生む、“呼び水”でもあり。
このようなカルト団体によって、
毎回、世間を騒がす事件が起こされるのもキツいところ。
身内(肉親や家族)や友人が信者である方々には、
大変、申し訳なくも思うけど…。
自分たちの生活や社会にとって害悪としか思えないカルト団体が、
政権まで蝕んでいたと聞けば、彼らの救済は、バカげた理想論であり。
それらを後回しにしてでも、“叩き潰し”て欲しくなる。
もちろん、これは「当事者でないから言える言葉」。

あるテレビ番組より…。
“献金”を、ね。
“過度な献金にならないよう”に、充分に配慮する…という宗教団体が、
どこに存在するのか?…と不思議に思います。




2か月前の安倍晋三、元首相の殺害事件の直後、話題となったのが、
1995年、フランス政府が制定したセクト法(反カルト法)になる。
カルト集団を、「良い宗教」か「悪い宗教」かではなく、
その団体が反社会的な行動をしているかどうか判断する方法だった。
判断基準となるのは、以下の10項目である。

(1)精神的不安定化
(2)法外な金銭要求(献金など)
(3)元の生活からの意図的な引き離し
(4)身体に対する危害
(5)子供の強制的な入信
(6)反社会的な説教
(7)公共の秩序を乱す行い
(8)重大な訴訟違反
(9)通常の経済流通経路からの逸脱(高額な物品販売など)
(10)公権力への浸透の企て

このセクト法が生み出されるキッカケともなったのが、
フランスでも、その教義体質が問題となった統一教会になる。

しかし、最近、安倍晋三、元首相の“国葬”へと話題が移行していったことから、
この法律が話題となることは少なくなった気もする。
日本国内に存在する、宗教カルトや政治カルトの団体は、
おそらく、統一教会だけでもなく。
その中には、統一教会と同じく、
色々な政党や団体と結びついていたとしても不思議でもなく。
こんな法律が導入されるのを、不都合にも思えば、
人々の意識が向かないように画策している…とも想像してしまう。


(ちょっと驚かされてしまうものを、Twitterで確認!)

政教分離がなされていない国家の多くでは、
女性には、参政権もなく、中絶や離婚の権利もない。
政権と、偏(かたよ)った教義をもつ宗教団体が絡めば、
ロクなことにならないのは、歴史が証明している。
(続く⇒)
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天動説からの、こじつけ…:テレビ番組は、娯楽苦楽の四苦八苦!?

(一応、前回の続き⇒)
東野圭吾の小説「探偵ガリレオ」シリーズを原作としたドラマ、
「禁断の魔術」が、先週、9/17(土)に放送された。

まだ未視聴な方もおられるだろうから、詳細は省くけど。
かなり楽しませていただきました。
「探偵ガリレオ」シリーズは、新作映画「沈黙のパレード」が、
製作されたこともあるのだろうけど、
この時期に、政治家の暗殺が絡む物語がドラマ化されたのは、
何かの意図もあったのだろうか?

最近、もう1度、見直してみたいマンガと映画がある。
それは、浦沢直樹の「20世紀少年」。
何故なのか?…は、今の日本の状況を考えれば、分かること。



蛇足:

NHKのEテレ、ETV特集、
「ロングインタビュー 銃撃事件と日本社会」
放送日:2022年9月17日(土)も見ておくことにした。
この番組では、安倍晋三、元首相と世界平和統一家庭連合(統一教会)とを、
不自然なほど、取り上げていない内容になっており。
出演者たちのコメントも含め、妙にバランスの悪い番組構成に思えた。
多くの人の生活や社会へと害悪を及ぼす存在について、
受信料を得ながらも語らない放送局には、腹立たしい気分にさせられる。


映画や海外ドラマなどを見ていると、
キリスト教の文化圏では、
(キリスト教徒ではないので、正確性に欠けるけど…、)
人を、悪へと誘(いざな)うものこそが、
もっとも悪しきものであるという考え方があり。

過去には、“教会”などと称していながら、
“悪しき行い”を続けているものと、
不届きなセンセイ方には、何らかの処罰が下されて欲しくもなる。
(続く⇒)
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弔い合戦と、国葬:民意に非(あら)ず

(前回の続き⇒)
報道番組をみていたところ…。

国葬というのは、国民が弔意を示して、
初めて成立する…という言葉があった。
今回、岸田首相は、国民に強制はしない…とは語ったもの、
すでに国民の権利を侵害している状況にあり。
この言動は、意図的か、非意図的であったにせよ、虚偽になる。
それだけでなく、先々月(7月)に行われた参院選において、
岸田首相は、安倍晋三、元首相の“弔い合戦”として、
選挙結果で成果を上げており、正直、憤りを感じている。

民主的な国民選挙が、キチンと行われている先進国は、
投票率が低くなる傾向にあるとも聞いたことがあるけど。
選挙前にテレビ番組などで語られる、
「みんなで選挙に行こう!」のようなスローガンは、どこか陳腐にも思え、
国民の権利でもある投票も、煩わしくもなる。
どこの国でも、長期政権でなければ、出来ないことはあるもの、
ひとつの政党によって、政権が独占され続けていけば、
既得権を得た人間には、良からぬことを考えつき、
不正な行為に、手を染めるものも出てくる。
そのように社会の腐敗を疑っても、確認する術もなく。
前回(今年、7月)の参院選を含め、
与党政権への不満はあっても、野党には、それほどの魅力もなく。
どこへ一票、入れるかは、いつも悩まされてきた。
政治家のセンセイ方の苦労は分からないが、有権者だって悩むのである。
そんな有権者と地道に向き合っていく手間より、
カルト団体との“つながり”を持つことで組織票を得てきたと聞けば、
穏(おだ)やかな気分ではいられなくなる。




追記:
ある日、国家に害悪を及ぼす人間として、
政府が、ネット上のサイト運営者へと、
ある人物の個人情報の開示を要求したとき。
その要求が疑わしくても、サイト運営者は拒否できるだろうか?
その人物は、社会の不正を告発しようとしているかも知れなければ、
その逆で、外国のスパイや破壊工作を考えているテロリストかも知れない。
もちろん、ネット上だけに限らない。
極論を言えば、1つの主権国家の政府が、強権を発動すれば、
国交のない国家でもなければ、情報開示に応じることとなり。
拒(こば)むには、それなりの理由が必要になってくる。

一国の政府とは、それだけ強大な存在となる。
もちろん、国家及び国家権力によって、
個人の尊厳が脅かされないように、色々と難しい法律があり、
優秀な人員がいて、社会は守られていると思っていた。
しかし、本当に、そうなのだろうか?

大人が知らなければ、子供は知りようがなく。
日々の生活に追われる人々には、
社会が警鐘を鳴らしていく必要がある。
…では、社会の仕組みである法律が改変され、
重要な人員も排除されていれば、知る術(すべ)はなく。
悪しき慣習が続けば、手詰まりとなってしまう。
(続く⇒)
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害教、数多(あまた)あり:民意に非(あら)ず

(前回の続き⇒)
「世界は、全知全能の神によって創造された!」
という、
キリスト教的な考えは受け入れらないときがある。
もし、世界を創造した神(造物主)がいたとしても、
それは、全能であっても、全知だったとは思えないほど、
世界は、いびつで、不完全に見えるからだ。
人が、神や宗教によって、救われてきた時代は、
とっくに終わっているとも思っている。
それでも「信教の自由」は、社会に必要だと思う。
信教の自由を言い換えるのなら、“信じない自由”と言え、
物事や常識に対して、疑問をもつことに、つながっていく。
その昔、「地球が太陽の周囲を回っている」と言ったオジさんが、
ローマ教会のエラい人によって、自分の意見を撤回させられるほど、
イジめられたとも聞くけど。
<関連する過去の記事⇒「地動説と天動説:“信じる”ことと知識は違う。」>
1つの考え方に固執するのでなく。
あらゆる可能性や色々な考え方を認めていければ、
それだけ、世界はやさしくなる。
だからこそ、“宗教法人”を、隠れ蓑(かくれみの)として、
“信教の自由”を盾にする存在には、許し難いものがある。


自国の文化や生活を汚(けが)してくる存在を、
何故、社会が容認しているのか?
カルトは、薬物のように、人から、正常性を奪う。
それは、社会が“狂気”に蝕まれていくということ。
“カルト”の存在は、“信教の自由”を貶めるものでしかなく。
カルトに(宗教)法人格を持たせ、“信教の自由”のもとで、
カルトを庇護するなど愚行そのもの。




この1~2か月間、政権与党と世界平和統一家庭連合(統一教会)との、
“つながり”が騒がれるようになり。
フランス政府が、1995年に制定したセクト法が注目されたもの。
この話題が、最近のテレビ番組では減っているように思える。
これは想像でしかないけど…。

日本国内に存在する、宗教カルトや政治カルトの団体は、
おそらく、統一教会だけでもなく。
ほとんど知られていないものも少なくないと思われる。
その中には、統一教会と同じく、
色々な政党と強く結びついている存在がいても不思議でもない。
彼らにすれば、自分たちの息の根を止められかねない法律が導入されるのは、
是が非でも止めたいハズであり。
人々の意識が向かないように画策している…というのは、創作が過ぎるかな?
(続く⇒)
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