nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

伊庭城

2015年03月09日 | 滋賀県の城郭・環濠

 伊庭城は、建久年間、観音寺城主・佐々木行実の四男・高実が伊庭氏を名乗り代々この地に城を築き当地を領してきた。南北朝時代から室町時代にかけて、伊庭氏は近江守護六角佐々木氏家中で守護代を務め、近江支配の実権を握っていたが、文亀2年(1501年)伊庭城主伊庭貞隆、貞説の二代にわたり守護の六角佐々木氏に謀叛、滅亡する(伊庭の乱)。伊庭氏滅亡後、徳永法印領。徳永法印は関ヶ原の合戦に大津城の京極高次を海上より支援し、その功により,慶長5年(1600年)美濃高須城主(56000石)の大名となり転移で天領となったのち、元禄11年(1698年)旗本三枝氏が甲府より転封され、ここに陣屋を構えていた。明治維新後、陣屋の建物の一部は、村役場となり、明治12年には伊庭小学校を建て、現在は謹節館(公民館)が建っています。

[所在地:滋賀県東近江市伊庭町]

アクセス>JR琵琶湖線・能登川駅下車徒歩30分

伊庭(いば)城の概要

伊庭城を囲む水路

 

 ▼伊庭城址(郭内)                                                    

  

謹節館(現在:公民館)

屋根の鯱鉾

 

伊庭城の石垣

 

2015/03/07訪城

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊庭氏

 近江源氏佐々木氏の支流で、佐々木経方の子、行実の四男高実が,はじめて近江国神埼郡伊庭邑に移住し、伊庭氏を称した。伊庭城は、建久年間(1190年~1199年)に、伊庭高実が、築城した。

 



最新の画像もっと見る