延歴13年(794年)11月、桓武天皇は「山背」を「山城」と改め、新都・平安京に遷都する。桓武天皇ののちに即位した平城天皇は、病身のため弟の嵯峨天皇に在位わずかで譲位するが、平城上皇の平城古京への復都、薬子の乱などの政変によって政局は動揺していた。遷都から20年を経て即位した嵯峨天皇は、律令よりも格式を中心に政治を推し進め、ようやく平安京は、安定に見えた。一方、嵯峨天皇は都より離れた北野の地をこよなく愛され、壇林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立された。これが離宮嵯峨院である。嵯峨の地名は、唐(中国)の都・長安の北方にある景勝地、嵯峨山になぞられたものである。離宮嵯峨が大覚寺(正式には旧嵯峨御所大覚寺門跡と称し、嵯峨御所とも呼ばれた。)となったのは皇孫である桓寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。明治初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。昭和13年(1938年)には、大覚寺御所跡として境内全域が国指定史跡に指定された。
[所在地:京都市右京区嵯峨大沢町4]
<アクセス>JR山陰本線・嵯峨嵐山駅から徒歩20分(1.3km)
▼表門(玄関門)
▼式台玄関
▼心経前殿(御影堂)
▼正 寝 殿 ・・・重要文化財 桃山時代 木造入母屋造桧皮葺
▼五大堂の濡縁から東側の大沢池の景観
2013/12/03 訪問
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◆嵯峨天皇 (786年~842年、在位809年~823年)
第52代嵯峨天皇は、桓武天皇の皇子で、能書家として弘法大師、橘逸勢とともに「三筆」の一人として数えられた。天皇は、退位後,離宮嵯峨院に移って崩御され、御陵も西北の山上に営まれている。離宮嵯峨院は、その後大覚寺となる。