nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

栗田御所(青蓮院門跡)

2014年11月06日 | 王宮・宮殿・行宮・御所

  青蓮院門跡は、天台宗の祖、最澄が比叡山を開くにあたって造られた住坊(青蓮坊」が起源で、創建は、1150年、開基は行玄です。天台宗比叡山延暦寺の五ケ所門跡の一つとして、皇室と関わりが深く、高い格式を誇ってきました。別名を栗田御所といい、江戸時代には後桜町上皇の仮御所になっています。約6000坪の境内全域が国の史跡に指定されています。

[所在地:京都市東山区栗田口三条坊町69-1]

<アクセス>京都市営バス5・46・100系統「神宮道」下車徒歩3分または、地下鉄東西線「東山」下車徒歩5分 

 

栗田御所(青蓮院門跡)境内図

 

シン殿・・・重要な法要を行う。

   親鸞聖人が第三代門主磁円により得度を受けた場所でもある。  

 

 

庭園

 

 2014/11/5 訪問 

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 栗田御所(青蓮院門跡)からシャトルバスで「将軍塚・青龍殿」へ行きました。

 

 

将軍塚青龍殿

将 軍 塚

  延暦3年(784年),桓武天皇は都を奈良から京都南方の長岡に移しましたが、いろいろと事故が続きました。そこで和気清麻呂らは狩りに事よせて天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨、進言しました。天皇はその勧めに従って794年平安建都に着手したのです。天皇は、都の鎮護のために高さ2.5m程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯させ、塚に埋めるように命じました。これがこの地を「将軍塚」と呼ぶ由来になっています。国家の大事があると将軍塚が鳴動したという伝説が、「源平盛衰記」や「太平記」に残されています。今、この塚のほとりから眼下に京都の街を眺めるとき、栄枯盛衰の永い歴史が思い出されます。

 

将軍塚青龍殿

                                              ▼後継之松

 

将運塚からの眺・・・・京都タワーが見えます

将軍塚からの眺・・・京都御所が見えます

将軍塚からの眺め ・・・金戒光明寺が見えます

2014/11/5訪問



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