慶長5年(1600年)関ヶ原の戦に勝利した徳川家康は、翌年の慶長6年(1601年)東海道を制し湖上の船運を抑える目的で、大津城を廃し、現在の膳所城址公園(膳所崎)に四層四階の天守のある膳所城を築城させた。完成後は、戸田一西が30,000万石で入城した。その後城主は、ころころ変わったが、慶安4年(1651年)以後は、譜代大名の本多氏の世襲となり、60,000万石で、明治維新まで続いた。膳所藩の重要な任務として、京都の警備、特に禁中火番や洛中火消という消防活動が幕府から命じられ、幕末までその任務が遂行されていた。城は、湖中にせり出すように本丸、二の丸、三の丸が築かれた。明治6年(1873年)廃城となり、破壊されたが、現在、陸続きになった本丸址は、膳所公園として整備され、石垣がわずかに残っているほか、城門が、模擬再建されています。
[所在地:滋賀県大津市本丸町]
<アクセス>京阪電鉄石山坂本線・膳所本町駅下車徒歩7分
▼城門(模擬城門)
▼膳所城址碑
▼天守閣址
2013/7/6訪城