なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

頑張れ 鶴竜!

2012年05月01日 | さとうえりこ



相撲には余り関心がなく、と言うよりスポーツ全般に関心がなく、新聞は飛ばして読んでいた。テレビのニュースは見たくなくても流れて来るので時々は情報として見ていた。私にとって相撲はそんな程度だった。

春場所の相撲結果が放送されていたのを偶然見た時の事だった。今まで聞いたことのない(私が知らないだけかも知れないが)鶴竜という力士が横綱白鵬を倒したのだ。小さな体で横綱を倒した取り組みは当然大きく報道される。こういう小さな力士が大きく強い力士を倒すのには大いに声援を送りたい。俄然鶴竜なる力士が気になりだした。

相撲は豪風の勝敗を気にするぐらいだった。それも利用者のおじいちゃんたちとのコミュニケーションのために知るだけで気合が入っている訳ではない。そんな私であったが彼の昇進が伝えられ、その伝達式にも関心を持った。これまでの力士たちは四字熟語の難しい言葉で抱負を述べていたのだが、彼はとてもシンプルに「お客様に喜んでもらえるような相撲を取りたい」と決意表明したのだ。ここ最近はスキャンダルだらけでスポーツ記事よりゴシップ記事の方が多かった相撲界。私の関心など全くなかった。しかし偶然知った鶴竜の大金星から彼に魅かれるようになった。

以下は産経新聞の記事(平成24年3月27日)である。

春場所で13勝を挙げ、大関に昇進する関脇鶴竜が千秋楽から一夜明けた26日、「部屋の関係者とか、みんなに喜んでもらいたかったので良かった。稽古に励み、お客さんに喜んでもらえる相撲を取りたい」と、喜びと抱負を語った。
 
モンゴル出身の朴訥(ぼくとつ)な男は、秘めた熱意で道を切り開いてきた。白鵬や日馬富士の父がモンゴル相撲の名力士だったのと違い、鶴竜の父は理系の大学教授という異色さ。「スポーツしているのが好きだったし、親も喜んでいた」。バスケットボールに励む少年は旭鷲山らの活躍をテレビで見て大相撲に憧れた。
 
現地で行われた相撲部屋の入門テストを受けたが不合格。諦めきれず、思いを父の同僚に日本語に訳してもらい手紙にした。「受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の気持ちにこたえるべく、一生懸命がんばりたい」。相撲雑誌の広告の住所に出したところ、人づてに井筒親方(元関脇逆鉾)に話が届き入門が決まった。16歳の秋。初めて少年を見た親方は「床山さんが入門してきた」と思った。体重は70キロに満たなかった。それでも兄弟子の元十両鶴ノ富士、福薗洋一郎さんは「運動神経も頭も良く、強くなると感じた」。まわしの切り方は1回で覚え、日本語も1年ほどで会話できるまでに上達した。
 
苦労したのは2年目。三段目で結果が出ず、帰国してしまうのではと親方は心配したが、魚を食べられるようになって体重が増え、番付も上がった。「勝負に対するプライドは高い」と親方。稽古相手が多い部屋ではないが、課題を整理し休まず鍛錬を重ねた。土俵外でも、初代若乃花などの映像を見て研究し、他競技のトレーニングや栄養補給法からも向上のヒントを得ようとしている。鶴竜は「覚悟して来たから、きついとは思わなかった」と言う。11年前に手紙に込めた気持ちのまま、26歳はストイックに大関の座をつかんだ

このような記事を読むと、より深く彼の努力がわかり、ごひいきの力士として応援したくなる。
自分の気持ちに正直に行動し、地味に、コツコツと、粘り強く、などという表現が彼には合っているだろうか。
「相撲をやりたい」その一心で日本にやってきた彼の努力を大いに見習いたいと思う。

よっしゃ、ここはひとつ、佐藤部屋はちゃんこ鍋を食べることから始めるか。  

さとうえりこ            

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