なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

遺言書を書く年齢になりました

2012年05月01日 | いしかわようこ
69歳。私の人生サイクルはシュタイナーの七年周期ではなく、九年ごとにやってきます。ことしはその変わり目の年です。 どんな変化がやってくるのでしょうか。自分なりに心の準備をしているところです。
 先ずずっと気になっていた遺言書をしたためました。(簡単な手書き書面です)人生90年とも言われる長寿高齢社会になりましたが、私は体があまり丈夫な方ではなく、呼吸困難に陥って何度も死にかけていますので、残りは短いといつも感じてきました。それに独り身ゆえ、まわりに迷惑をかけないように、最期を迎えたいとも思ってきたからです。(呼吸困難は腰曲がりという体型から来る横隔膜圧迫が原因)
 これからやってくる介護のこと、延命治療のこと葬儀や遺産相続のことなど私の希望があります。正月休み、近くに住む兄と甥には直接来てもらってその旨を伝え、世話を依頼しました。大阪に居る弟には電話で伝えました。三人とも快く了解して下さり、安心しているところです。

 遺言書を書くことは精神的にとてもいい作業となります。まだ人生、これからが本番という若い皆さん(なな色シスターズの他のメンバーのこと)には少し早いかもしれませんが、60代に入りましたら是非なさってみて下さい。何がいいかと言うと、人生の味わいがぐんと濃くなります。まるで濃縮ジュースかスープを飲むような心の充実感を感じます。

① 感謝の気持ちでいっぱいになります。自分の来し方(こしかた)を振り返りますと、どれだけたくさんたくさんの方々に世話になり支えられてきたかわかります。その中でも特別に助けていただいた大切な人が浮かび上がってきます。そういう人に心の中で手を合わせてこう申し上げることが出来ます。「本当にお世話になりました。あなたと出会えた私の人生は幸せでした。心からお礼申し上げます。」と。

② お詫びの気持ちでいっぱいになります。自分の至らなさゆえに不快感な思いをさせた方々、傷つけたであろう方々に頭を下げてお詫びの念を送ります。「Oな思いをさせて本当に申し訳ありませんでした。未熟だった私を許してください」(信仰者としては神への感謝とお詫びが筆頭にくるのは申し上げるまでもありません)


③ 人生の残り時間で自分が一番したいこと、大切にしたいことがわかってきます。「余命一年」と告知された人のように物事の優先順位がはっきりしてきます。本当にしたいこと、やるべきことの的が絞られてくるのです。またしたくても能力的に無理なことは潔くあきらめることもでき、気持ちがすっきり整理されてきます。

私の人生の中で「なな色メール」の皆さんはシュタイナーのいう「ソウルメイト」のような存在でした。あたたかい友情を寄せていただきました。皆さんから発信された知的情報にどれだけ刺激され、啓発されたか知れません。「人の幸せは心と心の通じ合いにある」と言われますが、本当にたくさんの幸せをいただきました。ありがとうございました。(何だかお別れの手紙のようですね。いつか生前葬をしたいと思っています。)

第一回目の遺言書を綴って、今は次のような思いで暮しを紡いでおります。
① 神への祈りと愛を献げたい。(一日を貫く課題、集中的には朝夕)
② 庭仕事を愉しみたい。(草花や樹木の世話、自然と共に暮らしたい)
③ 食事はじめ日常の生活をていねいに美しく調えていきたい。
④ 縁ある方々とのつながりを深めていきたい。
⑤ 地球も宇宙もすべて一つにツナガッテイルトイウワンネスの理念を深めていきたい。(具体的には自分の言動が「和・輪・環」のタネまきでありますように。)
外面的には何の社会貢献もない生活です。あるいは独りよがりで独善的なところもありますが、私はこういう向き、タイプのようです。宮沢賢治のいう「デクノボー」の生きかたが好きです。   「そういう者になりたい」  (雨ニモマケズの最終句)

何年かのち、私のささやかな家族葬が終わって、兄弟や身内の者たちが会食しながら私のうわさをすることでしょう。
「あいつはホントに変わり者だったなぁ。おいしい外食もせず、庭から採ってきたタンポポの葉っぱで喜んでいる奴だったから・・・。」
骨箱に入っている私はクシャミをしてカタコト音をたてるかもしれません。

いしかわようこ


ブータンについての記事(なな色メール発行前に個人的に書いたものもご覧下さい。)

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